独白2
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2001年11月20日(火) 昔日記

昨日は☆が見たかったのに晴れてませんでした。
今日は無駄に晴れてますね。
新潟の澄んだ空気(要するに寒い)の中ではとても綺麗に星が見えますよ。
つーか!私が金を出し惜しみして3巻までしか『昴』を買ってこなかったから見れたんですけどね!!夜空が!
寒い中4巻買ってきましたよ…近所のジャ●コまで。

しかしあのマンガは凄いですよね。ホントに。
久し振りに吸い込まれました。
世界に。

と、いうことで本日のお題は『世界に浸る』です。

私は昔からマンガ読んだり本読んだりするのが好きでした。
子どもの読書量は小さいときどれだけ本を読んでもらってかで決まると聞きました。
私は長女だったせいかよく読んで貰ってたんですかね。
絵本を読んだ記憶はあまりありませんが、マンガから入ってよく読んでいます。今も。
でも今は読んでいるけれどもきっと前よりも世界に浸っていない。

私は少女マンガより少年マンガの方が好きでした。
なぜなら少女マンガは『世界』があまりハッキリしていなかったからだと思います。
世界がハッキリしていなかったというか私には合わなかったというか。
今も昔も私は人間がでてくる話を描くのならば、本当に「人間」を書いたものが好きです。
だからですね。少女マンガが合わなかったのは。
あれは妄想を描いているって感じで中に入れないんですよ。

では人間を描くというのはどうゆうことか。
私はそれを「世界を描く」ことだと思っています。
いろんな人間、悪いところも良いところもあって人間。
それがあって初めて「世界」ができて、『世界に浸る』ことが出来るんだと私は思います。

昔私はマンガを読んで、本を読んで、映画を見て、簡単に世界に浸ることが出来た気がします。
読んだり見たりするのは「世界に浸る」ことで現実から目を背けてると思うくらい。
それがどんどん歳をとるごとに難しくなっていっている。
それは私がマンガを描くようになったからなのか、言葉で自分を作っていっているからなのか。
感想が書けなくなっていったのもそのせいなのかもしれない。
人の作った「世界」を見る。
私にも私なりの「世界」があって、それが明確になるにつれて私は人の世界に入れなくなっている気がする。
自分の世界の価値観で、他人の世界を見る。
どんどん頭が固くなっていって、どうしようもない。

でもやっぱり「才能」って言うのはあるんですね。
自分の「世界」に他人を引きずりこむような。
本当に凄い。
そういうのは努力あっての才能なんですかね。努力も才能と言うか。
どこまでも世界が広がる。
自分の世界の価値観なんかは忘れてしまう。

マンガは一人で世界を作るものです。
だから必然的に世界の広さはその人の広さになると思います。
私の「世界」が狭いのも曖昧なのも、私が小さく曖昧だからなんだと思います。
映画やアニメは人が多く携わって世界ができるものです。
だから世界の広さもやっぱりマンガや本に比べて広い。
世界に浸りやすいと思います。
世間一般的に映画みたいな広い世界に共感するのはそのせいなのかな。
マンガは世界の小さな子どもが読むもんだと思われてるのはそのせいなのかな。

そんなことは無いですよね。
どれも大きさや表現方法が違うだけで現してるのは「自分の世界」だと思います。
自分の価値観をすっとばして「世界に浸る」。
「浸らせる」のは確固とした世界ができあがっているものだと思います。
それがだんだん出来にくくなっている。
それは私の「世界」ができあがっているからなのか。
だとしたら皮肉なものですね。
でもそうなったならばいろんな人が私の「世界」を価値観をすっ飛ばしてしまうようなところまで育てたいものです。


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