独白2
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2001年11月16日(金) 昔日記

今日はめんどくさくなったんで日記書くのをやめようかと思ったのですが結局書いてます。
つーか眠いと頭働かないかなあと思ってやめようかと思ったのと、今日夕寝してたときに怖い夢見たんですよね。
だからあんまり今日は一人でパソコに向かってたくないなって。
ものすんごい恐がりです。ホントに凄い。
子どもっぽい上にとっても自意識過剰なマゾ女です。
つーか昨日の日記があんまりだ。
本日は大した前置きも思いつかず。

とにかくお題は『自虐的思考』ですかね。

かなりの自虐的な思考の持ち主ですよ。私は。
ホントに救いようがないくらい。
そんなことばっかりやってるから昨日の日記みたいな滑稽な文を書くんですね。
ウザイことこの上なし。

でも自虐的思考というのはホントに私には必要なことなんです。
無いと生きていけない。っていうか。
私が幸せになるにはこれがないとだめなんですよ。
要するに私はとても幸せになりたがりっこってことなんですよね。

といいつつも、私は幸せになりたいから自虐的思考を繰り広げているのか、自虐的思考を繰り広げてるから幸せなのか。
境界が曖昧だ。
最近いろんなことの境界が曖昧すぎてこまる。

私は自虐的思考でもって、本当は誰かに自分の存在を完全否定して貰いたいような人です。
でも我が儘だからその人というのはただの人ではダメで、それなりに基準があるわけです。
幸せになりたいと言っているのに他人に完全否定して貰いたがってる。
これは自虐的だからなのか、私にとってこれが幸せだからなのか。

私はなんだかんだ言って自分の幸せがなんだかよく分かっていません。
自虐的であったり、自分を低くしたりする事は私にとってとても楽になることだけれども、それが私の幸せなのかは実は解らない。
世間で言う幸せは金持ちであったり、好きな人に囲まれていたり、暖かいベッドで永眠してみたり、そんなことなんだと思います。
もちろん私はそれに全く魅力を感じない訳ではないし、楽な生き方をすればとても良いと思う。
でも私は自分でどんどん悪い方向に物事を運んでいくのが大得意だし、どんどん自分で追い込むことで楽になることもある。
辛いと思っていても、「自分は不幸だ」と思うことで自分の境遇に酔っている。
そう考えるのは私は本当に辛い目に遭ったことが無いからかもしれない。
自虐的といいつつも、それは本当に心からのものでは全くなく、むしろ期待を膨らましているだけかもしれない。

自虐的思考によって幸せになるのか、私の幸せが自虐的になることなのか。
認めて貰いたいと言ったその口で、私は他人に完全否定して貰いたいとも言う。
一体どっちが私の本音で、どっちに従っていきればいいのか。
自虐的になることは逃げることだとも言える。
でももしそれが私の幸せならば、私は逃げているんではなくて、私は幸せを求めて前向きに生きていることになる。
前向きに生きることは、自虐的になることではない。

自虐的思考によって行動することはそのときは楽な気分になるけれども現状は悪化
していることになる。
不幸に酔うことは逃げることなのか。私にとって幸せになることなのか。
不幸に酔うことで、私は幸せを願い、前向きに幸せに向かって生きているのか。
その場合の私の求める幸せとは?

本当にどこまで考えれば良いのか解らない。
何を考えて結論づければいいのか解らない。
だからデカルトはすべてを否定して、ただ一つ「我思う、故に我あり」という言葉で表現したのか。
考えることは無駄なことなのかもしれない。
でも私がこれによって自虐的思考になっていることは確かだ。
ただそれが私にとって幸せなのか、幸せになるためにそれをしているかは解らない。
世の中解らないことだらけです。
誰かが私を完全否定してくれたならば、私はすべてをその人のせいにして捨てることがきっとできる。
それは自虐的なのか幸せなのか。
生きているから幸せになりたいのか幸せになりたいから生きているのか。
幸せになりたいから死ぬのか、生きているから死にたいのか。

本当に訳の分からないことがたくさんだ。

そしてここの日記が一番訳が分からないこと間違いなし。
ここの言葉はきっと私にしか解らないで、私自身も結論が出ないでずーっと同じ道をひたすらぐるぐる回ってる。
誰かどうにかして欲しい。
今日の日記はいつも以上に解らないですね。
「☆食べよ」でもやけ食いだ!!


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