独白2
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2001年12月13日(木) 昔日記

他のことをほとんどしなくなるところが怖いですね。
つーかもはやそこまでいくのは私が異常だからでしょうか。
だってネットって楽しいんですもの。言い訳ですが。
今日だって本当はもっと早くここを書いてしまって、マンガかtop絵を描こうと思っていたのにですね、なんたるざまでしょう。

今日は久し振りにと言いますか、カタログ見ました。冬コミの。
なんだかわざわざチェックとか入れてイベントに備えるのは随分久し振りです。
ネット始めてからは本当に縁遠くなっていた行動ですよ。
いやいやS籐さんに感謝です。だいたい彼女のお祝いだったのに家まで送らせるという暴挙にでる私。最悪。

しかしまあ楽しいです。カタログ見てるの。カップリングとか見てると特に。
私もホモ好きっつーんですか。まあそうですね、カカサスだし。
ホモなんですよねー…。しかしホモである必要があるんでしょうか。

と、言うことで本日のお題は『そうでなくてはならない理由』です。

私は普段から結構気にするんですよ。こういう無駄なこと。
だから男にメイドとか耳付きとか苦手なんですよね。
いや、女の子にも生耳(動物性)がついてたら結構嫌です。しっぽは良いんですよ。しっぽは。なぜなら私的に尻の割れ目の上、骨のあるとこからなんか出てたらちょっと萌え。変態ですから。
これはもう超個人的意見の塊なんですが。女の子はカワイイから良いんです。
女の子が着飾るのはいいんですよねー。そういう生き物だって私が思っているから。
男の子はね、女の子のカッコなんかしなくても男の子としてカワイイのが良いのです。カワイイの種類が違う。

これは私がそう思っているから「そうでなくてはならない」訳で、他人がどうこうと言う話では無いんですけどね。
だからカタログとか見てるのは結構面白いです。
「なんでー?なんでこのカップリングなの?」
とか口走りますが、それを描いている人も私と同じようにこうでなくてはならない理由があるからそのカップリングになる訳なんですよね。
夢見がちですが私はNARUTOではカカサスで無くてはならない理由があるし、シカいのでなくてはならない理由もあるし、ナルサクでなくてはならない理由がある。
すべては私の中の「そうでなくてはならない理由」ですが。

私がこれを書くのもマンガを描くのも「そうでなくてはならない理由」からきています。
その内容も。
パラレルやファンタジーはあんまり得意じゃないのも、そんなところからきています。きっと。

私は小野不由美先生の「屍鬼」が好きです。
この話は現実に存在はしない、屍鬼と言うものがでてきます。
私がこの作品がかなり好きなのは作者にとって、この現実に存在しない屍鬼と言うものをわざわざ出したのには明確な意志とでも言いましょうか。
こういうことが書きたい。そのためにはこのような存在があると書きやすい。話になる。つまりは「そうでなくてはならない理由」になれるわけです。
極端な言い方ですが。

本当にNARUTOという作品が好きな方には申し訳ないのですが、私がNARUTOで同人をやるのは私の感覚でこの作品を読み、私の感覚で「そうでなくてはならない」と言うことをマンガにしているにすぎないんだと思います。
だから本当は同人でわざわざ描かなくても私は私の感覚でマンガが描ける。
だからこそ昨日の話の続きですが、自分が没頭するとでも言いますか、こうやって同人すればするほどどんどん別物になっていくんですね。
だから同人はその人特有のものでオリジナルだともいえる。
でもそこには「この作品が好きだから」という理由があるから「この作品でなくてはならない」んだと思います。

私の場合はそこに「この作品の人気」というのと、「自分のオリジナリティーの無さ」から同人しているという理由も加わるのですが。
正直な話。
だって今NARUTOにカカシとサスケが出てこなくてもマンガ描けますから。
原作はそんなでもなくてもシカいのとか言ってますから。
デジモン好きでしたけど今あんまり描いてませんから。
どんどん好きな原作から離れて同人することに、本当は「そうでなくてはならない理由」を感じないから最近こんなにジャンルに困るのですかね。

原作と大幅に違うのに同人している意味を最近あまり感じません。
でも私の上に書いた理由から同人やめられないんですよね。
そしていま一番マンガ描きやすいのはNARUTOなんです。
ああ滑稽。またこの言葉。ボキャブラリーの無さを感じます。
「価値観」「滑稽」「自虐的」って私の好きな言葉なのかしら。
他の言い回しを知らないのが、正にこれこそ「そうでなくてはならない理由」ですよ。頭悪い。

本当に同人好きな人には申し訳無いですが、かなり正直な気持ちです。


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