独白2
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新しいパソコに向かってやっていると今までのパソコと色が違うということをよく思います。 この日記の色も微妙に違うし。ピンクだよう〜。
なんだかんだといいつつもものすごく久しぶりな感じがいたします。 実際最近ここ書いていなかったんですけれども。 書くことがないというだけなんですけれどもね。 私はどうも人より鈍感なほうなのかもしれませんが考えるきっかけになるものがなければ考えることもないし、刺激がなければ腐れるばかりです。 でもみんなそんなもんかな?よくわかりませんが。
学校がないです。勉強もしてないしためになるようなわかりやすい書物も読んでいません。ためになるようなわかり易い映画も見てません。 いろんな意味でいろんなことがそろそろ限界なんだと思います。 飽きっぽい性格なんで。だから駄目なんですね。 今まで気に入っていたものとか、好きだといっていたこととかそういうものがある時いきなりどうでもよくなるなんてよくあることです。 人に対してが大抵そうですけど。 「痘痕も笑窪」ってやつですかね? 私が普段好きだ好きだと言っている大抵の事柄は「ああ、馬鹿だね、要領が悪いね、不器用だね、そういうところが好きだなあ」ってやつなんですね。 自分で考えるとホント吃驚するほど当てはまるからおかしいですが。 そういうことがね、ふとした瞬間どうでもよくなるんだなあ。
笑窪に見えてたものが痘痕に元通り。 なんでそんな風にいきなり変化すんだろうと思うのですが。 最近はなんとなくわかった気もしないでもないです。 要するに私は面倒なことがしたくないと思っているんですね。 笑窪に見えても実際は痘痕なわけで、色々面倒なことには変わらないわけです。元々飽きっぽい性格ですし。 結局満足すればそこまでなんですよね。満足したらその先はないわけで。後は下がるばかり。 人生山あり谷ありというかそれしかないというか。
それとまあ何ですか?私って意外にロマンチストよね、とか。 大笑いしちゃいますけどね。プライドは高いわ夢見がちだわ自意識過剰だわで大変なんですよ。実際色々と。 自分がニコニコニコニコ笑いながら幸せそうになるのが嫌なんでしょ。 馬鹿みたいに大したことない事でグチグチ考えてみたりしている自分に酔いしれているわけですよ。幸せって言うのは馬鹿に見えなくもないですからね。
自分って色々考えちゃうのね。あら凄い。私って少し不幸かもしれないわ。こんなこと考えちゃうなんて。でもそんなこと気にせず頑張るワ。
自分の気分を多少よくするためには少しの不幸とお膳立てが必要なわけです。 その役目は友人にやってもらうとして、不幸は自分の都合で思い込み。 そんなの大したことじゃないでしょ?とか言われたらそうだよね。私おかしいよね。とか言ってみたり。 内心では「こんなこと気にするのは私だけなんじゃない?私ってトクベツ?だったら気づかないあの人って低俗?」なんてね。
気持ちよく一人で自分の作った他愛もない不幸に酔いしれてみたり。ついでに興味をなくしたとか言って面倒くさい事柄から逃げてみたり。 でもそういう人間ほど『逃げる』という言葉を使わなかったりしてね。 ああ、でも逆に大きく使用して言い逃れを作るのもいいかもしれないとか思って実行してみたり。 大笑いなほど滑稽さ加減を前面に押し出して独りよがりに「何でこんなことしてるのかしら。何で私生きてるのかしら」とか考え出して、後々思い出しては自分で自分を罵る材料にしてみたり。
世の中無駄ってないもんですね。すごいなあ。 都合のいい頭というよりも人というのはほとんど無駄を作らない生き物なのかもしれない。とか考えて、そういう人の生きてる世界なんだからそこからしてもう無駄のない世界なのかもとも思う。 そういうくだらない日々の空想から自分の欲しい答えを自分で出しては「こうじゃない」といってまた悩む。悩むのはいいことらしいですよ。 考えるのもいいことらしい。逃げるのはよくないとかね。 こういう定義はどこから来るんだろう。 少なくとも逃げるのは駄目だというのは一生懸命逃げてもゆっくり逃げても結果的に極めれば死んでしまうからなんだと思うのですが。 死んだら終わりなんですよねえ。死んだら元も子もないって言いますが。 そんな事言ったって必ず死んじゃうのに中途半端は駄目なんですと。
もうすぐお客さんが来ます。 そしたら私はこんなこと考えもしないでその人に対応し、そんでもってその人が帰ったらまた一人で部屋に篭るか風呂に浸かるかして「私って不幸ね」と思うわけですね。 延々それの繰り返し。 大抵のことは飽きたり面倒くさくなったりするのになんでこういうのってやめられないんでしょうね。 仮定となりますが、こういうことは本能という名前で呼ばせていただきたいですね。
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