一喜三憂〜3歩進んで2歩下がって〜...hui

 

 

シャベり場。(境界線について。) - 2002年08月28日(水)

まず、最初に。
どうも、まとまらない内容になってしまいそうですが・・・。(しかも暗め。)
ちょっと考えたので。。




☆☆

バイトにて。

今日はちょっと事件があった。

ある男の子の話。仮にN君とします。

N君は最近塾に入ってきた生徒さんで、入る前から
ウチの塾のある男の子にいじめられていて、
その子とは同じクラスにしないで下さいと親から言われながらも
入塾したのですが。

結構個性的な子で、反応とか面白いんですよ。

でも、先生とかは割りと
『あれでは(変だから)いじめられるかもしれないな。』

などと言っていたりしていました。

そのN君が今日同じクラスの男の子に(これはO君とします。
前述のいじめている男の子とはまた別の子です。)
行動をからかわれ(?)(←この辺がイマイチ曖昧なのですが。)
怒ったところ、O君がそれに逆ギレして殴ってしまったというのです。

んー・・ちょっとわかりにくい表現ですけど・・・。

☆☆

今も、先生たちがその後の対応をしているんでしょう。

私は先に帰ってしまいましたが;;;

☆☆

『変』の境界線ってなんでしょうね?

以前読んでいた『ロマンチックな狂気は存在するか?』(春日武彦著)
では『正常』と『異常』の境界線はない(ひどく曖昧)だと書いていました。

『変』は『異常』とイコールのものではないだろうから境界線はあるのかな?
それとも、『変』にも境界線なんてない??

じゃあ、どこまで『変』なら『いじめられてもしょうがない』んでしょうか?

これは先生たちに対しての批判めいたものになってしまうのですが
私はいつも『いじめられてもしょうがない性格』とN君の事を表現する
先生の弁には反感を持っていました。

変だったらいじめられてもしょうがないの??

☆☆

私自身、小さい頃、保育園に通っていた時があって、その時に
私はよく独り言を言う子供だったので(今でも独り言は多いですけど;;)
そこにいた保育園の先生に『変な子』『危険な子』とレッテルを貼られた事があります。
そんな私は『いじめられてもしょうがない子供』なのか?

・・あ、モロそう言われた事がありました。
まあ、『時代』もあったかもしれません・・・。あの当時は。

一時期『いじめ』と『いじめを苦にしての自殺』が多発した頃に、
大分、考え方の建前は変わってきたのでしょうけど
(もちろん、現実と建前は比例しないものだから、実際はまだ
このような考えも多いし、そういう状態に悩んでる人も多いかもしれません。)
あの当時、いじめられた事を教師に相談すると教師に堂々と
『いじめられるアナタにも原因があるんだから、しょうがない。』と
言われたものでした。(その教師個人にもかなり問題はあったと思います・・。)

☆☆

『いじめられてもしょうがない』と言われる境界線はどこにあるの??

『いじめられる方が悪い』と『いじめる方が悪い』の境界線は??
どちらも同時に内在するもの??
それとも、シーソーのようにどちらかが重かったりするの??

☆☆

境界線はあるの?ないの?

それは正しいの?間違ってるの?

☆☆

・・・なんかクエスチョンマークが飛び交ってて申し訳ないです・・・。

考えても、結局答えは出ないんです。
答えなんてないから。
自分で決めるしかないんですよね。
自分の経験やそこで培った感覚で決断していくもの。

とりあえず、私は『いじめられてもしょうがない』とは思わない人でいたいです。
自分はそう言われてすごく悲しかったから。

社会や人間や生活にクロとシロだけじゃないってのは分かっているし、
それだからこそ面白い、というのもあるんだけど。

数字で全部が計れたらラクなのにな、ってちょっとしょーもない事を考えてしまった1日でした。







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