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七夕の誓い - 2007年07月07日(土) 『プラダを着た悪魔』を観た。面白かった。 2つのことを考えた。 まず、やはり女性は美しくあるべき!あろうとするべき! ってこと。 流行に乗る乗らないは、個人の自由だし、 昔からのスタンダードを良しとするかも、もちろんそう。 ただ、各々が目指す方向に自分を持っていこうとする 姿勢が美しいんじゃないか、と思う。 ちなみに、偉そうに書いたが、自分はてんでできてない。 主人公の、当初の自宅での格好を見て、 「うわ、ウチや…」 と反省した。 でも、こんなふうになりたいなぁ、という理想像はある。 だから、これから。これから。 もう一つは、仕事について。 この映画は、痛かった。 4年前まで正社員として働いていた時の自分とリンクした。 ネタバレというやつになるので、観てない人は読み飛ばして 欲しいのですが、映画の主人公は最終的に仕事を辞める。 自分の意志で、自分の頭で考えた結論でもって。 私も仕事を辞めた。 辞めたことは正しかった、と今でも思っている。 でも、逃げるようにして辞めてしまった。 それが心に引っかかったままだったんだ。 その時は、突っ走っていてきちんと考えられていなかった けど、このままだと自分が大切にしたい部分が、 私の内側が壊れてしまう、と直感で分かっていたんだ。 でも、それも後付けの理由。 その時は、恐怖で思考をストップしていた。 思考を遮断しているからミスも多くなって悪循環だった。 もう少しだけ勇気を持って、最悪その場で辞めると言って 飛び出してもいいという覚悟を持って、 日々、自分の内側を大切にすれば良かった、 と思っている。 まぁ、でもそれはもう終わった話。 次に活かそう。 そんな、“まとめ”をさせてくれたこの映画と出会えて 良かったと思っている。 最近、このような“出会い”に対して、“運命”“縁” といったものの存在を濃く感じる。 今、自分に必要なものに、今、出会ってしまうこと。 私が今ふと手に取ったものが、私を変えることも あるだろう、と思うのだ。 しかも、それはあらかじめ決められているのかも しれない、くらいに。 それは、怖いことでもあるけれど、心底『面白い』とも 思っている。 選んだのが偶然であっても、選ぶのは私なので、 その何かに影響を受けて変わる部分があっても、 底の底で流れ続けている“私”は“私”だ、と思う。 そういうのを魂と言うのかもしれない。 そう思うから、本の装丁やDVDのタイトルを見て、 ちょっとどきどきしながらそっと手に取る時も、ある。 何も考えないで、ガサッと掴むときもある。 なんだか怪しい感じの人に思われそうだ。 今、一番大切にしているのは、生活。 私が大切にしている生活とは、うまく言えないけど、 考えと行動が一致しているもの。状態。 以前は、例えば仕事している時は、 「これは本当の私じゃない」 と思っていた。 実家で暮らしていた時も一人暮らしをしていた時も 「ここは私の暮らす場所じゃない」 と思っていた。 私は、自分に言い訳しながら、自分の頭の中の世界と 体が住んでいる世界を別のように感じていた。 だから、「こんなはずじゃない」「本当はこうじゃない」 と言い訳しながら、今を終わらせるのに必死だった。 何も楽しんでいなかった。 本当は、その頭の中の世界を持つ“私”は そこにしかいないのに。 あまりにも下手くそだった。 今もまだ、下手くそだ。 生きるのが下手くそな方だと思う。 こんなところに思っていることを吐き出さないと、 にっちもさっちもいかなくなってしまう。 でも、 吐き出して、考えて、何かを必要として、 探して、得て、変わって、ラクになって、 また分からなくなって、吐き出して、考えて… というサイクルを知ったことは良かった。 そのサイクルの中で得たのが、 考えと行動が一致した生活をすること。 シンプルだけど難しい。 自分の考えたことをとにかくする。 それを楽しむ。 嫌な時は、嫌と思う。 他の人がどう、とかじゃなく。 それが自分の内側を大切にすることだと 今は思っている。 (もちろん、他人を傷付けたり、嫌な思いを させたくない、という思いは基本にあるので、 そうすることも自分のしたいこと) ほんと難しいけど。 今、それを実践できるのは太極拳。 自分の身体と対話しながら動く。 考えと行動が一致する瞬間。 それを、生活の中の料理や仕事や、その他の なんだかんだに広げていきたい、と思っている。 ...
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