あたろーの日記
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2003年01月11日(土) |
そうだ、京都いこう。 |
むしょうに京都に行きたくなったので、来月出掛けることにした。 2月の京都は寒いだろうなあ。 でも、観光シーズンでない分、人が少なくていいかもしれない。 リュックにちょっとの着替えと身だしなみ用具と文庫本だけ突っ込んで、好きなお寺まわってこよう。 今年はひとり旅を何回かしたいけど、旅行にそんなに費用をかけたくないので、チープ・トリップを極めようと思う。 東京大阪間片道4,800円の高速夜行バスに乗り、宿坊に一泊すれば、まるまる2日間は京都に滞在できて費用は安く抑えることができる。 いちど知恩院の宿坊に泊まってみたかったので、そこにお世話になろうかな、と思う。なんてったってあの大きな三門のすぐ前に宿舎が建っているし、朝、阿弥陀堂でのお勤めにも参加させてもらえるのだもの。最近心身ともにだらけているので、たまには清清しくしゃきっと(^^) こんなこと書くと引いちゃう人もいるかもしれないんだけど、実は私、瞑想するのが好きなんであります。 別に特定の宗教に入信しているわけでもないし、そういうことをやる団体に入っているわけでもないのですが。。でも、瞑想を特殊なものと思ってる人にそう説明しても分かってもらえないので、人には滅多に言わないのですが(と言いつつHPで言ってる・笑)。 7年位前かな。友達と京都を旅したとき、竜安寺や永観堂で海外からのバックパッカーと見られる人達が1人で瞑想してるのをよく見かけたんだけど、その時の印象が強く残ってる。竜安寺の石庭の前で、リュックを傍らに置いて胡坐かいて目を閉じている姿に、日本人である私がカルチャーショックを覚えてしまった。旅行というとガイドブック片手にとかく時間に追われながら、次はあれを見て、今度はあれを食べて、とキツキツに予定を詰め込むもんだと思い込んでいた私に新鮮な驚きみたいなものをくれた。日本人はどうも大人になっても修学旅行の癖が抜けないのかも。。 話がちょっとずれたけれど、その頃から瞑想とか、座禅といったものに興味が湧いて、ほとんど自己流ですが、時々やってます。 といったって、集中力がないので何時間もやってるわけじゃないですよ。 たとえば散歩の途中、川沿いの緑地のベンチで、近所の神社の境内のベンチで、通勤電車の座席で、夜寝る前の数分間・・・椅子に座ったままでも、思いついたときにちょっとだけ。。 いらいらして気持ちが落ち着かないとき、腹の立つことがあったとき、落ち込んでいるとき、ほんの少しの間目を閉じて、心の中をフラットな状態にしてあげると、そのあと不思議と穏やかな気持ちになれる。公園だと周囲の木々のざわめく音、神社では場のもつ静寂さがどーんと迫ってきて、心が洗われる感じ。 瞑想というと、オウム真理教など特定の新興宗教のイメージを抱いて敬遠する人も多いかもしれない。あるいはダサい(死語かな?)とか。それで敬遠したらちょっともったいないと思うくらい、私にとっては精神的に価値も効果もある日常の一コマです。 というわけで、観光客の少ない冬の京都、好きなお寺の境内で、心ゆくまで静かにすごしたいのであります。 ほんとに寒そうだけど。。 東寺と三十三間堂は絶対行きたい。仏像彫刻に圧倒されたい。何度訪れても感動が褪せないお寺だと思う。 こんなこと言ってますが、実はまだ予定が立たず、カレンダーとにらめっこしてる状況です。 はよバスとお宿の予約せねば。
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