あたろーの日記
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2003年01月15日(水) |
あさりの運命についての一考察 |
新潟に住む妹が、特売で買ったあさりを水につけて塩抜きしたままほうっておいたら、生きているのを見てなんだか食べるのがかわいそうになったから、海に返してあげたほうがよいかと携帯にメールしてきた。 私は、それが日本海産ならいいけど、千葉産のあさりだとしたらこの真冬の日本海に放り込まれるのはあさりにとってかえって悲劇だから、この際だから育ててみてはどうかと返事しておいた。 金魚でも、何日か世話をしていると、えさをくれる人の顔を覚えて水槽の端に集まってくる。昔実家で(アパート暮らしで猫を変えなかった時代に)父が可愛がっていたランチュウは、私が近寄るとぷくぷくとこちらに泳いできたものだ。 あさりと人間との間にもこのような親愛関係が生まれるかどうか、ぜひ試してもらいたいものだ。 海辺のアパートに住んでいた小学生時代に、プランクトンを飼ってみようと思い立ち、バケツに海の水を汲んで帰宅し、水槽に移してベランダに置いておいたことがある。飼う、といっても、相手はプランクトンだから世話をするわけでもなく、ただただベランダに置いて眺めていただけである。 ふわふわふーわふわと沢山の小さなプランクトンが水槽の中で上に行ったり下に行ったり、こんな不思議な生き物がこの世に、しかも海の中に無数にいるのかと、生命の神秘に打たれながら、夏休み、毎日ベランダにしゃがみこんで観察していた。 8月に入ると、夏休み恒例、佐渡の祖父母の家に泊まりに行く。 両親は仕事があるので子供達を佐渡に残して先に帰ってくるのだが、私達子供は2週間位祖父母の家に滞在する。 で、さんざん遊んで日焼けして佐渡から帰ってくる。 プランクトンのことなどすっかり忘れている。 ベランダに出てみると、水槽が置いてあって、覗いて見ると、底のほうに塩が積もっている。 なんでこんなところに塩が?と、ちろっと指につけて舐めながら考える。。 しばらく記憶をたどって、ようやく思い出す。その水槽にちょっと前までプランクトンがいたのである。 あれはほんとに気の毒なことをしてしまったと今でも反省している。 数年前、友達夫婦の新居に遊びに行ったとき、二人がちっちゃなミドリ亀を飼っていて、「みどりさん」と名付けて可愛がっていた。 そのみどりさんがある日危篤状態に陥った。 で、奥さんから電話でみどりさんが危ないと聞いた旦那さんは、会社を早退して急いで帰宅したそうだ。私がそれを知ったのはみどりさんが昇天して数日後なんだけど、電話口で彼女がみどりさんの死を思い出してしょんぼりしていたのを覚えている。
犬や猫のように吠えたり鳴いたりすり寄ってきたりする動物ももちろん可愛いけど、物言わぬ小さな生き物との密接な関係もまたいいものだと思ふ。
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