あたろーの日記
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今日は暖かくて、よい天気でしたね。 ここんとこ風邪引いてばかりで、休日も家の中でじっとしてなきゃならない日が続いていたので、もうむずむずして、お昼ゴハン食べたらダウンジャケットのポケットに文庫本と小銭入れと携帯電話放り込んで、鉄砲玉のように飛び出しましたです。ほんとはまだ風邪が完全に抜け切れてないんだけど、部屋の中にじっとしてたらかえって身体によくない気がして。
なんにもイベント性のない休日が好きです。 どっち曲がろうとどこまで行こうとどこで立ち止まろうと自分の勝手、っていう1日が好みです。 人の家の庭先を眺めながら住宅街を歩いて、商店街に入って、まずコーヒー(笑)。 「カフェ・ベローチェ」はあちこちで見かけるコーヒーのチェーン店ですが、150円で結構美味しいコーヒーが飲めるので、よく利用してます。 通りに面した窓際のカウンター席の端っこに座って、ブレンド飲みながら文庫本読む。 新宿や渋谷などのコーヒーショップと違って、住宅地の側の店は、家族に邪魔されずに本を読むために来ているような感じの近所の住人が多くて、気取りがなくて好きだな。その分なんか居心地がいい。 本を閉じて、携帯にイヤホン差し込んで、サンタナのバラードを聴く。 去年の秋に買ったシャープのSH52は、写真も撮れるし、音楽も聴けます。音楽は、SDカードに録音したものを聴くんだけど、予想に反して音質が良いので私はこれで十分満足してます。どっかのサイトで「音が悪い、所詮携帯のおまけ機能にすぎない」みたいに書かれてたけど、そんなことはないよ♪っつうか、私レベルではこれでOK。 で、2杯目のコーヒーをちびちび飲みながら、サンタナの「VICTORY IS WON」という曲をリピートで聴く。はー幸せだー♪この時間が永久に続けばいいのに。。ギターの泣きと一緒にどっかにトリップしてしまいそうだぁ。 そろそろ歩きたくなったので、川沿いの緑地へ向かいました。 今年初めての公園だー。 ここでも携帯で遊ぶ。 桜の木を写したり、猫ちゃん達をモデルにしたりと、結構忙しい(笑)。 緑地公園では犬の散歩や、ジョギングやウォーキング、キャッチボールやサッカー、はたまた楽器の練習など、みんなそれぞれの時間を楽しんでいて、ここもまた居心地がいい。。 東京23区内なんだけど、ここは驚くほど緑が多い。 木々の間を歩く、歩く、歩く。 立ち止まって、川の流れを眺める。 ベンチに腰掛けて、頭上の梢を仰ぐ。 都会の中の、人の手のある程度入った緑だけど、それでも私にとってはありがたいです。 時々こうした自然の中に入って、木々のリズムと同調するのって、とっても大切なことのような気がする。緑のもつエネルギーを分けてもらうわけです。自分の場合ですが、自然とかけ離れた生活をしていると、生理(月のものですね)が止まります。パソコンの画面や、アスファルトや、コンクリの壁面ばかり見てる生活を送ってると、精神面でも悲鳴を上げそうになるけど、それ以上に身体が先にSOSを発するようです。 それから、木々のもつ浄化作用はかなりのものだと思います。 近くに大きな環状道路があるため、周囲の空気は結構汚れているのですが、緑地公園に来ると、空気がキーンと澄んでいるように感じられます。 空気が美味しいっていうのかな。。 去年、この公園のすぐ脇に、大きなマンションが出来ました。 公園が暗くならないようにとの配慮からか、低層ですが、敷地面積が広くて、とってもおしゃれな外観。 実は、マンションから近い公園内に、あづまや風の休憩所があって、そこにホームレスのおじさん達と10匹近い猫達が共同生活を送っていたのですが。。。案の定、追い出されてしまったようです。。 今はあずまやの屋根も取り払われ、コンクリートのベンチが円形に残っているだけで、おじさん達も猫達も見当たらない。。。 以前は、そこを通りかかると、ポータブルラジオから大相撲の取り組みが流れてきたりして、私もよく立ち止まって聞いたり、猫をかまったりした。そこの猫は人見知りが激しくて、ちょっとやそっとじゃなついてくれない。私が猫に逃げられるのを見ておじさんが笑ってたけど。 おじさん達や猫達がそこからいなくなったいきさつは、なんとなく分かるような気がします。 マンションがすぐ近くにできて、新しい住人達が増えて、「環境がよくない」「安心して子供を遊ばせられない」「不衛生だ」といった苦情が出たのかな。。おじさん達や猫達には新しい環境が用意されたのかなぁ。。屋根の取り払われたあづまやを見てると、なんだか暴力的に、力ずくに退去させられたんじゃないかって気がする。。 私がもしあのマンションの住人で、子供がいる身だったら、考え方がもう少し違うかもしれないけど、でも、少なくとも、あそこにいたホームレスのおじさん達や猫達は、周囲に危害を加えたり、迷惑をかけたりするような暮らし方はしてなかったように思います。あづまやはいつもきれいに整頓されて、おじさん達はそこで将棋をしたり、おしゃべりたのしんだりしてたし、猫達は公園をねぐらにしてるカラス達から必死に身を守りながら、おじさん達や、ボランティアの人達からごはんもらって生きてたし、私は何度もそこを通ったけど、不愉快な思いをしたことは一度もなかったです。 こういうページがあります。 http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/sizenhogo/touron/iken/iken-sesaku-3.htm 「『緑の東京計画』に対するご意見の紹介 」という、東京都環境局公式ウェブサイトの中のあるページです。都民から寄せられた公園や緑地に関する意見が載ってます。 公園や緑地に対して、まさにいろんな意見や考え方があるんだなあ、と驚きます。「木が多すぎるのは夜間怖い」というのもある。人によってほんとに違うんですね。 でも、一通り読んでみて私が感じるのは、「排他的だなあ」ということかも。。特にホームレスの人達や野良猫達に対して。 そもそも、地球上のどの土地も、人間だけのものではないし、日本のどの土地も、特定の人達の占有物ではないはず。 それを、人間は土地を区画してお金で売買して所有者を決めてるだけで、極論を言ってしまえば、本来はどんな土地であってもどこの土地であっても誰のものでもないわけで。。 公園がそこにできたからって、ホームレスの人達が住んではいけないというふうに決めつけるのはおかしいんじゃないかと思う。 普通に綺麗なマンションや住宅に住んでる人達が、「あの公園は私達のものだ」と言ってるようなものだって感じるんだけど。 私の考え方は極論かもしれないし、ホームレスの人達にも問題はあるとは思うし、行政がもっとホームレスの人達の救済策を出してくれればとも思うけど、でも、人間社会の片隅で、ときどき不条理な事柄が平然と行われていたりする、そういう場合に立場の弱い人達が都合よく虐げられてしまう、その舞台が公園や緑地だとしたら、いったい何のための公園や緑地なのかなあと、疑問に感じます。 「ホームレスが環境を悪化させている」と言いながら公園から排除しようとする大人達と、「ホームレスは虫けら同然」と言いながら公園で寝泊りしていたホームレスの人を殺害した少年達とは、本質的には変わらないと思う。 あのおじさん達と、猫達が、新しい居心地の良い住み処で安住していることを願うばかりです。
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