あたろーの日記
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2003年02月18日(火) |
今日は長文読解です。。というか長くてすみません |
また京都の話です。 二日目の早朝、6時過ぎに宿坊を出て知恩院の阿弥陀堂に入り、毎朝お勤めに参加しているという信徒の方々が座布団を敷いて下さった大きな金銅の阿弥陀仏の前にしばらく座っていました。昼間は多くの人が訪れるであろうこの場所に、今は数人の信徒さんと私だけ。まだ外は夜が明けきらない。信徒さんたちはお堂の外に出てなにかいろいろ準備をしているよう。しばらく阿弥陀様と私で二人っきりで対峙する。不思議な空間。朝のひんやりとしたお堂に、ろうそくがともり、阿弥陀様のお顔が薄暗がりの中でぼうっと浮かびあがっています。どうして心がこんなに落ち着くのかな。特別信仰心というものがあるわけではないのに、自然と涙が出てくる。静寂の中で、阿弥陀様に、心の中まですべてを見透かされているような感覚になります。 そのうち、信徒さん達が戻ってきて、私の前の座布団に座ると、それぞれの前に置かれた木魚をぽこぽこ叩きながら「南無阿弥陀仏」を唱え始めました。一瞬どうしたものか戸惑ったけど、私も真似をします。それに迎えられるようにお坊さん達が7人奥からみえると、阿弥陀様の前に座られました。そのあとは7人のお坊さんと3人の信徒さん、計10人のお経を唱える声がしばらく阿弥陀堂に響きました。「般若心経」以外知らない私はただそれに耳を傾けているだけでしたが、お経を聞くのはとても好き。特に、修行を積んだお坊さんの、あのお腹の底から響くような朗々たる声で唱えるお経は、聞いていてとても気持ちがいいもの。しかも他に訪れる人のいない時間帯の阿弥陀様の目の前です。一生忘れられない経験になるでしょう。 阿弥陀堂でのお勤めが終わると、次はすぐに御影堂でのお勤めに移ります。お坊さん達も急いで移動。私達もすたすた急ぐ。阿弥陀堂より大きな御影堂に入ると、信徒さん達の数がさらに増えています(あとで聞いた話では「念仏を唱える会」の方々もいらっしゃいました)。その方達のところに座ろうとすると、お坊さんに呼ばれ、一人だけ前のほうの、「回向」と書いてある祭壇(?)の前に座りなさいと言われました。ちょっと、緊張。知恩院の宿坊である「和順会館」の宿泊者は、特別に朝のお勤めで回向をして頂けるのです。でも、正直言うと回向ってどんな風にやるのかよく分からないのでいつ何があるのかどきどきして正座していました。。。阿弥陀堂とはまた違った意味での御影堂での読経の声。さきほどより天井が高く、奥行きも広いお堂で、人数もぐっと増えたため、よく響く、響く。2000人ほどが入れるというこのお堂、中には法然上人の御影や、徳川家康、家光それぞれのご母堂の厨子などが安置されています。お坊さん達がそれらを前にして座ってらっしゃるお堂の前半分が浄土、一般の参拝客、今は信徒の方達が座ってらっしゃる後ろの半分は現世を表わすとのこと。私はお坊さんと同じ浄土の部分に正座していました。。。だんだんしびれが。。今立てと指示されたらみんなの前でよろけてしまう、と思っていたら恐れていたことが。お坊さんが近寄ってきて、「ご焼香をしてください」。う、ど、どうしよう、究極のしびれ。でもなんとか頑張ってご焼香をする。私の実家はたしか浄土真宗だから、佐渡でお葬式があったときに参列者や父母達がやってる方法を思い出してぱっぱと済ませる。。というか、もう緊張しちゃって(^^;)。それを見ていた信徒の方が、あとで正しい焼香のやり方を丁寧に教えてくださった。嬉しかったなあ。 そのあと指示されて後ろの信徒さん達の場所に移動して座る。歩いているときに、私の本名が読み上げられ、先祖代々を回向してくださる声。なんか、こんな旅人の若造のために、ありがたいと思った。こんな経験は滅多にないよね。 そして予め用意されていた座布団の前に開いて置いてあった冊子(ほんとはもっと違う名前?)。「その開いてあるページを一緒に読み上げるんだよ」と後ろから教えていただく。その日該当するページが決まっていて、お経ではないんだけど、うーん、なんていうのかな、教訓とか、戒めみたいな内容の文をみんなで朗読する。そしてその後お経。 なんか心が洗われていくようだ。 来て良かったと思った。 あ、そうそう、信徒さん、「お経を唱える会」の方の中に、私と同じくらいの年代の方も数名いました。カップルで来てる(この方々も旅行者かな?)もいた。ちょっと、嬉しかった。
お勤めが終わると、御影堂の一角にある「志納所」という(写経をする机が並んでいる小さな畳の部屋)部屋に皆入っていく。「面白い話だからあんたも聞いていきなさい」と言われ、私もあとからついて行き、入り口の戸の前に座ると、「そんな後ろじゃなくて、一番前に行きなさい」と皆言ってくださるのでお言葉に甘えて一番前へ。火鉢があって、皆膝突き合わすような狭い空間に正座して、法話をしてくださるお坊さんの登場を待つ。正直言って法話はあまり好きでない(笑)。だって、眠くなりそうなんだもん。一番前で居眠りしてしまったらどうしよう、と、ふと不安になる。。 奥の戸が開いて、お坊さんがお1人みえて、私の目の前に座る。その場にいる人達の顔をぐるっと見回して、私と目が合って、「あれ、今朝はいつもとちょっと違う顔があるぞ」という風に思われたかな。ちょっと恐縮。でも、初めてお顔を拝見した瞬間、なんだかほっとした気分になった。話、面白そう(すみません、ぶしつけで)。 知恩院では各地の浄土宗のお寺の住職さんが持ち回りで7日間ずつ、朝7時から約1時間法話をされているそうです。聞きたい方は自由に聞いてよいらしいです。 で、私が法話を聞いた方は、三重県鈴鹿市のお寺の住職さんで、毎年知恩院でこの時期法話を担当されてきて、今年の、その日が、知恩院での法話の担当(輪番というそうです)の最後の最後の日だということでした。 演題は「法然上人 七大徳」。法然上人の伝記をもとにお話を進めてこられて、私が聞いたのはその最後の日。話の内容は法然上人の最後の日々のことから始まりました。法然上人は、死期に際して、弟子達が、「御廟をどこに建てたらよいか」とたずねたところ、「一廟を建ててしまうと念仏往生の教えを広めようという勢いが失せてしまう」というようなことをおっしゃったそうです。1ヶ所に立派なものをこしらえて満足するよりも、弟子達の一人一人が歩き回って、念仏往生の教えを民衆に広めよ、という考えの方だったんですね。 そういうお話をしばらくされて、ふと、住職さんが、「私ごとなのですが」と、ご自分の話を始められました。 住職さんは、今年の11月末で鈴鹿のお寺を次の方に引き継いでもらい、ご自分は小笠原諸島の父島、母島へ移り住むのだそうです。父島母島は東京都でありながら、竹芝桟橋からフェリーで30時間(!)、しかも船も毎日運航しているわけではなく、数日おきとのこと!ヨーロッパに行くより時間がかかるのだそうですが、そこに2000人ほどの住民がいらっしゃるそう。けれど、教会は1軒あっても、お寺はまったくない。で、人が亡くなるとどうするかというと、葬儀で司会が合図して、ラジカセからカセットに吹き込んだお経を流すそうです。だから、住職さんが、島に住む知人に「島に来る気はないか」と言われたそうです。それで、「よし、じゃあ行こう」と答えて、話が進んで今年の年末には移り住む予定とのこと。今いる三重のお寺、檀家さんたち、恵まれた環境にはなんの不満もないけれど、陸から離れた孤島に念仏の声をあげに行くのは自分に与えられた役目ではないか、自分に声がかかったのは、お前が行ってそれをやれ、という意味なのではないか、と思ったそうです。突然決まった話だし、もちろん、お寺を建てるどころか、住む場所さえもメドはないそう。でも、あのあたりではトレーラーハウスがよく転がっているから、しばらくはそういうのの1つを探して住んで、場合によってはそれをお寺にしようと思うとも。お連れ合いを亡くされているので、自分の身一つで島に渡って、まあなんとかなるさ、やってみようではないか、と。いったん島に渡ったら、よほどのことがない限り、島を離れるわけにはいかないから、もう知恩院での輪番はできないそうです。だから今日が最後の最後の日であると。自分はよく変わり者だと言われるが、今度は馬鹿者だと言われます、と笑顔で話されていました。 住職さんの話にどんどん引き込まれていって、なんだか目の前がどんどん開けていくような気がしました。お幾つくらいかなあ、50前後でしょうか。もっとお若いかな。でも、年齢など関係ありませんね。何かをやろうという意気込みを感じさせる人には齢(よわい)の圧力など無関係なのかもしれません。とても目に力のある方です。なんて綺麗な目をしているんだろうと素直に感動しました。自分でもこういう気持ちは初めてなんですが、自分が今日ここに来たのは、この方にお会いするためだったんじゃないかって思えてきました。住職さんの最後の最後の輪番の日に、一番前に座らせて頂いてお話を聞いている私。その話の内容が、自分の中の何かを揺さぶって、大事なことを掘り起こしてくれているような気がしました。思えば、無性に京都に行きたくてたまらなくなって、カレンダー見て悩んで、すでに毎月第3日曜は文学サークルの集まりがあるのにそれを休んでもその日に行こうと決めて、知恩院の宿坊を予約した頃から、なんだかどこかで何か別の力が働いていたような気がします。そういうこと、信じない人も多いかもしれないけど、私は信じるって言うか、うーん、ひしひしと感じるタイプだなあ。とにかく、住職さんのお話を聞きながら、私が京都に来たのはこの方のお話をきくためだったのかも、と強く感じました。そして、お寺の全くない島に、自分が念仏の声をあげに行く、という住職さんの心意気に、とても胸が熱くなりました。 気がついたら手元の手帳に「小笠原」とか「父島母島」と書いていた。 そして、心の中では、来年絶対行く!と決めていました。 その後、御影堂を後にして、今度は宿坊を出るとき、フロントに挨拶に行くと、その住職さんがフロントの方と立ち話をされてました。 私を見ると、「さきほどはありがとうございました」と、丁寧な挨拶をしてくださった。お礼を言わねばならないのは私のほうなのにね。でも、私の顔を覚えててくださったのと、目下の者に対しても自分のほうから挨拶してくださったことに恐縮しながらも嬉しくなりました。 どちらからとたずねられ、「東京からです」と答えると、話は小笠原に。 住職さんが島に移住されたらトレーラーハウスのお寺(^^)を訪ねていく約束をして、私は宿坊を後にしました。 なんでだろう、ちょっとお話しただけなんだけど、とても心が落ち着いて、穏やかな気分になりました。 宗教的な威厳とか、人を圧倒させる力があるとか、そういう威圧感のある方ではありません。でも、自分の思う道に迷わず飛び込んでいこうとする心のありようが、清々しい気がします。住職さんといえども、人間ですからきっとパーフェクトではないでしょう。でも、ひとつの生き方を示してくれる、情熱をもつことの大切さを教えてくれる、そんな方ではないかと思います。 人生の師、といっても過言ではないかもしれません。 来年は絶対小笠原に行ってみます。 調べたら、往復の船代だけで京都を2回旅できる(泣)。 でも、私にとってはそれだけの価値があると思います。
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