あたろーの日記
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2003年03月06日(木) 桜の樹の痛み。

 桜が大好きです。

 気象庁の予想によると、桜の開花は今年も例年より早めになるらしいですね。東京は26日だとか。あと約3週間かぁ。
 でも、桜の樹の下を通りかかると、どこからともなく萌えるような香りがしてきませんか?裸の枝の先のほうで、沢山のつぼみが薄緑に色づいてきて、柔らかく膨らんできています。この時季まだ冬の冷え込みは残っているけれど、植物は着実に春の訪れに間に合うように準備を始めているようです。。
 染色家の志村ふくみさん曰く、美しい薄桃色を染色で出すには、桜の花びらではなく、花が咲く直前の桜の樹の皮を使うそうです。花びらで染めようとしても茶色になってしまうとのこと。すでに開いて移ろいゆくばかりの花ではなく、開花直前の樹の皮を剥いで煮出してそれで布を染めると、えもいわれぬような美しい桜色が生まれるそうです。。
 開花に向けて、表面では見えない樹の内部で、春の息吹の胎動が始まっているのですね。私達が目にする桜の花の色は、実はほんの一部分に過ぎないのですね。ほんとうは桜の樹全体があの妖艶な花の色をしているのだと思うと、桜の樹のけなげさひたむきさに圧倒される思いがします。
 
 今日本の平地にある桜のほとんどを占めるソメイヨシノは、江戸時代の終わりごろにオオシマザクラとエドヒガンの自然交配によって生まれた新しい品種だそうです。それが、花つきのよさや育てやすさから日本のあちこちに植えられるようになったとのこと。だから、西行や藤原定家の見た桜と私達が今目にするほとんどの桜は、全然違うんですね。
 ちなみに、ソメイヨシノは寿命が他の桜より短く、60年ほどだそうです。日本人の平均寿命より短いんですね。

 3年ほど前の4月の初めのこと。
 自宅の近所に空き地があって、草ぼうぼうの一角に、大きなソメイヨシノの樹がありました。
 毎年美しい花を沢山咲かせて、花の時季になると辺り一面の空気をその樹一本だけで変えてしまうほど存在感がありました。
 まだ寒さの残る朝も、仕事を終えて帰宅する夜の暗闇の中でも、空き地の中にぽつんと立つその桜の樹を見るとなんだかほっとして嬉しくなって、そばを通るのが楽しみでした。特に夜、暗い中でぼうっと浮き上がるような満開の花がとても幻想的で、このまま散らずに永遠に咲いていてくれればいいのに、って何度思ったことか。
 ところが、ある夜その空き地の脇を通りかかって、自分の目を疑いました。
 愕然としました。
 桜の樹が、根こそぎ倒されていたのです。
 その朝通ったときは、いよいよ花が満開になったなあと思って見ていたのに。
 大きな大きな桜の樹、花も満開だったのに。
 空き地には重機が入って、辺りの土も掘り起こされていました。。
 
 たった60年しか生きられない桜の樹を、どうしてわざわざ切り倒してしまったんでしょう。
 しかも厳しい冬の寒さに耐えて、ようやく満開の花を咲かせることが出来たその矢先に。
 せめて花が散り終わるまで待てなかったのか。
 人間とは、こうも非情で傲慢な生き物なのか。
 その時の怒りは今も忘れることは出来ません。
 
 空き地はあっという間にアスファルトで覆われて、駐車場になりました。
 ・・・駐車場にするなら、せめて桜の樹1本分のスペースを残して置いてあげること位出来ただろうに。
 桜の命を救うよりも、車1台分の駐車場代のほうが惜しかったのか。
 
 私の勝手な持論ですが、植物はひとつところに長く根付いている分、土地に残す残留思念のようなものが強く長く続くと思います。
 あれから3年経ったけれど、今でも駐車場のそばを通ると、あの桜の樹の痛みがそこに残っているような気がします。
 春が近づくと、アスファルトの上に満開の桜の樹の幻が浮かぶような気がします。
 
 
 
 


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