あたろーの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月15日(木)

 雨の日は泣きたい気分になる。
 子供の頃から。。。

 静まりかえった家の中にいて雨音を聴いているのは嫌いではないのに、その雨の中を歩いていると、いつしか胸がふさがったような痛みを感じて、喉元が締め付けられていく。
 なかなか片付けられない仕事を無理やり切り上げて、夜遅く、眠るためだけの部屋に帰っていく。
 少しでも早く、と、バスを降り、近道を行く。
 人ひとり通れる位の細い道。アスファルトの所々に小さな窪みがあって、雨水が溜まっている。サンダルの足に、道の両脇に群生するヨモギやポピーが軽く触れるだけで、葉先の水滴が飛び散ってしまう。とうとうつま先が濡れて、なんだかみじめな気分で歩いている。
 傘をさして歩くと、普段の自分より身の丈が大きくなって、うっかりすると頭上を覆うバラの枝を揺らしてしまう。終わりかけた赤い大輪のバラが、傘の端にぶつかり、雨水を頬に当ててくる。
 音もなく降る5月の雨は、それでも冷たくて、夜帰宅の道をいたわってはくれない。
 そんな風に思いながら歩いていると、心臓の周りの薄くてもろい覆いが、オブラートが溶けるように流れてしまって、むき出しになった心が表面に浮き上がってしまう。雨水は、人の心に物理的に作用する。
 
 ***

 雨を好きになろうと決めている。
 角川の「季寄せ」をめくってみる。
 
 春の雨、春時雨、菜種梅雨、花の雨、春驟雨(はるしうう)、夏の雨、緑雨、青時雨、青葉時雨、卯の花腐し(うのはなくたし)、走り梅雨、迎へ梅雨、五月雨(さつきあめ)、虎が雨・・・
 
 春と夏の雨につけられたさまざまな名前のほんの一部。。
 雨にもいろんな種類がある。今日降っている雨はなんの雨かとほんの少しだけ思い巡らすだけでも、雨を親しく感じるかもしれないと。。。

 それでも気分が沈んでしまう時は。
 この雨雲は、2日前にはかの人の、昨日はあの人の頭上に、今降っている雨と同じ雨を降らせたのだと、思ってみたり。
 
 
 
 
 
 


あたろー |HomePage