あたろーの日記
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今日はちと疲れちゃったカナ。 ☆☆☆
いろんな人がいて、人の数だけ生き方があっていいんじゃないかと思うんだけど、日本って、人と違う部分があるととっても窮屈で居心地が悪い国なんだなあと感じる今日この頃。 私だけじゃなくて。 私の周囲にもそんな風に感じてる人は多いんだって感じた。 人をだましたり傷つけたりしない限り、どんな生き方、どんな生活があったっていいじゃないか、と思ってしまう。別に学歴や肩書きがなくったって、稼ぎがなくったって、目の前の目標がただ、その日のご飯にありつくこととねぐらを確保することという生活だって、そういう暮らしがあったっていいじゃないか、それを蔑視するのはおかしいんじゃないかって思う。 立派な生き方と立派でない生き方の違いが分からない。 立派な仕事というのがあるなら立派でない仕事もあるというのかな? 誰かを立派な人だと定義づけたら、一方で立派でない人も生まれるということになるんじゃないか。 人が人を評価したり卑下したり、見下したり差別したり、生活の手段を奪ったり、生きるという基本的なレベルでまで規制したり、一体なんの権利があってそんなことをするんだろう。 日本人は特に仲間意識が強いのか、はたまた自分と人とを比べるのが好きなのか、自分がイメージしている範疇から外れている人がいると差別したがる傾向にあるんじゃないだろうか。・・・すべての人がそうとは言えないけれど。 職も家も家族も失い路上で生活を余儀なくされている人も、いつの間にか屋根のない所での暮らしが板についてしまった人も、会社に通って夜家族の待つ家に帰る人も、みんな目の前の生活に一生懸命なのは同じ。周囲の状況によってそれぞれの立場が逆転する可能性だってあるわけだし。 社会の枠組みや組織から外れてる人がいても全然構わないと思う。だって、そこから外れちゃったと誰かが感じるような社会だったら、そんなもの初めから人間の社会じゃない。人間は本来さまざまに個性あって、いろんな生き方、考え方がある生き物だから。都会の中の小さな土地も、本来は誰のものでもない。人間のものでもない。そこに生き延びるためにやむを得ず暮らす人がいようと全然構わないじゃないかって思う。
☆☆☆ 人に対する批判や中傷が先行し、行動するよりじっとしているほうが美徳とされ、信念を貫こうとする人は偽善者と呼ばれ、出る杭は打たれる。 人を傷つけるための行為が正当化され、本当のことはカムフラージュされ、その陰で弱い立場の人達は忘れ去られる。 自分に正直に、まっすぐに生きていきたい人は多いはずなのに、そうするにはあまりにも窮屈な世界。
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