あたろーの日記
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2003年07月10日(木) 少年法について思うこと

 犯人が14歳以下の少年であろうと、人を殺したら刑事罰を課すべきではないかと思う。そんなことを今日はずっと考えてた。
 加害者の少年の更生を目指すならなおのこと、人の命を殺めたら相応の罰を受けなければならないということを身をもって理解させるということが、少年の今後のためにも必要なんではないか。さすがに実名報道や極刑は難しいかもしれないけど、人を傷つけたり殺したりしたら、相応の年数を刑務所で過ごさねばならない、そこでは自由はないし刑務所の中で自分は大人になってしまうかもしれない、けれど、殺された被害者はもっともっと無念で、命を奪われるということは刑務所の暮らし以上に辛いものなのだと。刑務所の中で長い間過ごせば、社会に出て人生を謳歌する時間は他の人より短くなるけれど、殺された被害者はもっともっと短い人生だったのだと、身をもって体験させなければならないんじゃないかと思う。この世の中は、ゲームやアニメとは違う、仮想現実ではない、生身の身体を持った人間の世の中なのだから。
 子供でも、幼児でも、相手を叩けば怪我をするということは分かるし、互いにお菓子を分け合うことも覚えるし、犬や猫をいじめちゃいけないと兄弟を注意したりする。小学校中高学年にもなれば人の死の重みもちゃんと理解できる。それを教えられないまま成長して加害者になった少年は悲劇だけれど、加害者を腫れ物に触るように保護して、1年もたたないうちに社会に出してしまうのも悲劇だと思う。
 学校の勉強は成績が良くても、命の重みを教えられないまま成長してしまった。算数や国語、理科社会などの理解能力には優れているのかもしれないけど、人間にとって最も肝心なことに対する理解能力は養われていない。そういう少年を、同世代のほかの子供達と同じルートに早く復帰させることが、果たして本人のためになるなのだろうかと疑問。命の重みについて、社会の中で暮らしていく方法について、他の人より学習能力が乏しいのであれば、そのペースに合わせて心の根深い部分からじっくりケアしていくしか更生の道はないと思う。刑務所の中で過ごす期間がそういうものであれば、塀の向こうで失われる数年あるいは十数年は加害者の少年にとって、決して無駄ではないはず。
 今ある少年法の考え方そのものが、現実の社会に即さなくなってきているのではないか。


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