あたろーの日記
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2006年01月25日(水) 銭湯にて。

 旧暦12月25日。
 昨夜は会社の歓送迎会で、酔っぱらって帰宅したために書かずに寝ちゃいました。すいません。
 送別会というのは、寂しいもんですよね。広い世の中で、毎日数えきれないほど多くの人達と視線も言葉も交わすことなくすれ違っているけれど、そういった中でお互い顔も名前も覚えて、仕事を一緒にする仲間になって、何億といる人間の中のごくごく一握りの人達としか、自分の一生の中でそういうつきあいをする人は現れないわけだけど、そのごくごく一握りの人達とも、いずれ、別れて、お互いまた何億という人達の中に紛れ込んでいく。自分の一生のうちで、そういう風に関係する人達って、一体どれくらいいるんだろう、と考えてしまう。何千人?何万人?
 でも、その、何千人か何万人かの人達の全てと送別会が出来るわけでもないんだなあ、とも。送別会をしないまま、それが互いに顔を見合わせる最後の瞬間だとも気づかないまま別れてしまう相手のほうが圧倒的に多い。当たり前だけど。私は不精なほうだから、「今度会おうね」と口約束だけしつつ、いつの間にか疎遠になってしまった知人もいたり。たまたま道ですれ違い挨拶した数日後に相手が亡くなってしまい、結果的に路上の会話が最後の別れになったりと。
 色んな人と出会ったりすれ違ったり会話したり一緒に仕事したり。そういう自分の毎日って、いったいどういう意味を持ってるんだろうって、送別会の時いつも思いめぐらせてしまいます。
 理屈っぽいですね(笑)

 銭湯の湯船に浸かっていたら、浴室内を、1歳半くらいの男の子がギャンギャン大声で泣いている。見ると、30代前半とおぼしき母親が、いらついたように風呂桶を持って歩いていく。その後ろを男の子はひたすら泣きながらついていくのだけど、母親は少し立ち止まって、彼が自分に追いつこうとするのを見ていながら、そのくせ追いつかれようとすると再びそっぽを向いてすたすた歩き出す。男の子のほうは、母親が自分を振り返って、距離が縮まると泣き声がそれでも落ち着いたものになるけれど、母親がまた自分をほうって歩き出そうとすると、いっそう泣き声を大きくして、必死に母親についていこうとする。その後母親はさっさと浴室の外にある露天風呂のほうへ出て行ってしまい、男の子だけ取り残されて、みんなが体を洗っている浴室内で、ずっと大声で泣き続け、泣きながら、今度は周囲の、髪を洗ったり体を流したりしている女性達のそばへ順番に近づいて、それはいったいどうしようというのか分からないのだけど・・・母親だと勘違いして近づいたのか、それとも母親以外の女性に優しくしてもらおうとしたのか、・・・見ていて胸が苦しくなるくらい気の毒だった。母親はまるで自分には関係ないかのように露天風呂に行ってしまったし、男の子の泣き声は浴室中に響き渡っているしで、みんな困惑。私もお湯の中から一部始終を見ていて、いったいどうしたらいいんだろ・・・と、思っていたら、別の湯船にいたおばさん達が4、5人揃ってお湯から上がってきて、「危ないよ、滑って転んだら」等々言いながら男の子を抱き上げ、母親に詰め寄っていた(裸のおばさん達が集団で母親を叱る様子はちょっと怖かったです・汗)。
 幼い男の子が裸で、自分を守ってくれるのは母親だけ、頼れるのは母親だけ、と、必死に泣いて訴えている姿が、強烈に印象に残った。
 

 


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