あたろーの日記
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2006年02月26日(日) てっちゃん。

 旧暦1月29日。

 姪っ子からのメールで、実家の秋田犬、てっちゃんが昨日死んだことを知った。たしかもう15年近く生きていたから、人間で言うとおじいちゃんだった。このお正月に私が帰省した時すでに元気がなくて、オリの奥に入ったきり、散歩に行くのも億劫がっていた。いるのかいないのか、ついぞ吠え声を聞かなかったような。。。
 そうかあ、てっちゃんがとうとう・・・。私が東京で暮らすようになってから実家に加わった家族だったので、私とてっちゃんはさほど仲が良くはなかった。というのも、犬というのは猫と違って、家族の中で種の違いを超えた序列をはっきり持っているらしく、てっちゃんの基準からすると、冬と夏の年2回しか姿を現さず、且つ自分が子供の頃にうんと一緒に遊んでくれたこともなかった私は、家族の中では自分より下位に位置する、むしろ、自分は門番の役割をしているのになんにもせず、ただ食べるかゴロゴロするか遊ぶかしているくせに快適な家の中にいる猫達と同等の、あんまり面白くない存在だったらしい。その証拠に、昔私が実家の居間で美味しいお菓子なんか食べてたりすると、庭からこちらを覗きながらてっちゃんが吠えたりするので、母によく、「てっちゃんにあげる気がないなら見えるところで食べないように」と注意された。居間にいる猫達もよく吠えられていた。
 だけど、面白いことに、そういうてっちゃんでも、滅多に帰ってこない私が、自分の家の一員であるということはちゃんと認識していたらしい。これは猫達も同様で(今実家にいる猫達は4匹とも私が東京で暮らすようになって実家に来た)、お客さんが実家に来るとてっちゃんは吠えまくるし、猫達はお客さんの前から姿をササッと隠れてしまい、帰るまで隠れ場所から出てこない。それが私だと、てっちゃんは面白くなさそうに一瞥するか威嚇程度に吠えるにとどめるかで、猫達に至っては食卓に一緒について、私の箸の行方を見つめ仕舞いにはスキをついて箸の先の魚を奪いにかかるし、風呂場も覗きに来るわ、布団にも潜ってくるわで、あれは本当に不思議で、母と、「どうして家族だって分かるのかねえ」と話し合ったこともある。もしかしたら、犬や猫には、私たちの嗅ぎ取ることの出来ない微細な匂い、人間の血のつながりや長く寝食を共にしてきた者同士を嗅ぎ分ける能力があるのかも知れない。
 てっちゃんは、血統書付きのれっきとした秋田犬だったのだけど、ちとおばかさんだったんじゃないかと、私は感じる。というか、てっちゃんが悪いんじゃなくて、ウチのもんがちゃんとしつけなかったのがいけないんだ、たぶん。だいたい、お手が苦手だった。近所の小さい子供を見ても吠えまくった。幼稚園児達は怖がるどころか、我が家の裏手に回って、「てっちゃんのばかーっ」とよく声を張り上げていたのだけど、それに対して本気で吠え返していた。
 しかし、自分の役割はちゃんと認識していたらしく、まだ玄関先に繋いでいた頃、新興宗教の勧誘に来たおばさんの手を、パクッと噛んで救急車で病院送りにしてしまった。おばさんはでかい秋田犬だけどおとなしくしているので大丈夫だろうと油断してしまい、てっちゃんとしてはおばさんが自分の縄張りの一線を越えて近づいてきたので、とるべき行動に出たのだった。実家の者からすれば、てっちゃんは番犬としての役割をちゃんと果たしたので叱るわけにはいかない、しかし、本来ならあんまり来て欲しくない新興宗教の勧誘の方に(うちは先祖代々の伝統仏教なので)怪我を負わせてしまい、治療費を負担することになってしまったのはなんとも皮肉な結果であるからして、それ以来てっちゃんは庭に作られた専用のコーナーに住むことになった。実はてっちゃんが病院送りにしたのはよその人だけじゃなくて、妹と、弟の奥さんの2人がやっぱりパクッとやられて救急車で運ばれて行った。2人とも食事中のてっちゃんに油断して手を出してしまったらしい。自分を散歩に連れて行ってくれる家族を噛む、そういうところを考えると、やっぱりてっちゃんはちと考え方が足りない犬だったと思う。
 ・・・と、ずっと離れて暮らしていた私でもてっちゃんにまつわる話でこれだけ書くことがあるのだから、実家の者達はもっともっと沢山の想い出とともに、今てっちゃんを失った哀しみに浸っていると思う。姪っ子からのメールでてっちゃんの死を知ったけど、実家に電話して実際話すとなると、私もきっと辛くて声が詰まってしまいそうだから、電話しない。人の死も辛いけど、犬や猫の死もまた辛い。彼らは言葉を話せないから。言葉で的確に自分の意思を伝えてくるのではなく、身体や態度や鳴き声や目つきで一生懸命こちらに言いたいことを伝えてきた、或いはしんどいことがあってもうまく伝えられなかったり。てっちゃんが彼の人生の最後に、いったいどういう身体の痛みを感じて、またどういう想いを家族に遺して逝ったのかを考えると、犬や猫の言葉を聴き取る野生の能力を失ってしまった人間の身としては、ほんとうに哀しい。
 でも、それでも、我が家の家族として暮らしたてっちゃんは、きっと幸せだったはずだ。てっちゃんは、そう思ってくれてるかな。。。


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