あたろーの日記
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2006年05月06日(土) ここにいる自分って?


 旧暦4月9日。
 蕗の薹味噌を作りました。自分で言うのもナンだけど、不味そうな写真だ。みりんが多すぎたかも。・・・味のほうはグッドです。春を待って長い冬を耐えてきた蕗の薹君、食べちゃってごめんね。夜はこれでちびりちびりと一杯・・と行きたかったのですが、日本酒呑み始めると寝るまでの数時間がやっぱ勿体ないので(頭働かなくなる)、缶ビール、じゃないや発泡酒でやめておきました。えらい!
 友達がiPod nanoを買った。嬉しそうだ。携帯メールにちょこちょこ報告をもらう。ほんと楽しそうだ。Apple社の社員でもないのに、「iPodワールドへようこそ!」という気持ちになってしまう。そのうち落語も入れてみんさい、落語も♪
 
 突然話が替わるのですが。。。
 ずっと、自分という存在について疑問をもってきた。私ってなんだろう?なんのために生まれて、生きているのかな、って。様々な物質と規範に囲まれた複雑怪奇なこの世界に、こうして身体を持って両親の元に生まれてきて、成長してあたふたと毎日を生きている自分。学校では、人間社会の枠に上手に当てはまって生きていけるように、限られた認識や知識の中だけで思考するよう訓練され、他人と自分を比較することに慣らされ、まっとうな大人になれば輝かしい将来があるかのように錯覚させられ、社会に出れば、学校で学んできたことの多くが役に立たないことであったと振り返る余裕もないほど目の前のあれこれにあたふたと対処せざるを得ない毎日。自分の人生がこんな風に続いていくのか、こんな風に終わっていくのかと思うと耐えられなくて、手当たり次第に思想書を読み、小説に惹かれ、宗教書に答えがあるかと繙き、音楽に助けを求め、映画が何かを教えてくれるかと見入り、身体を動かすことで自分と対話をし・・・。そうやっていくことで、少しずつ理解してきたこともあり、見えてきたこともあり、また考えさせられることもあり、どんどん分からなくなってくることもあり。。。
 ただ、最近確信を持ち始めていることは、人間は自分達が作り上げた狭い枠組みの中でしかものを考え、生きてこなかったのかも、ということです。
 社会のシステムも、政治経済も、科学も宗教も・・・その枠組み、その押さえを超えたところで自分の思考体系を構築し直さなければ、ほんとうの意味で自分が行き着きたい答えを得ることは出来ないんじゃないだろうか。人間が、自分と仲間を組織しまとめるために作り上げてきた既存のパラダイム(社会システムも宗教も)の中に生まれ、そこで育った自分が、自分を育ててくれた世界を覆っている壁を突き抜けて外に出てみることは、最初は難しいかも知れないけど(これまでの自分の認識を覆すことも多いので)、考えてみれば、この世界に限界を作ってしまったのは、そもそも私を含む人間自体なのだから、突き破ることも不可能ではないはず。
 人間は脳の使用可能領域のたった3割しか使っていないそうです。残りの7割は使われないまま放置されている。人間は、自分たちの脳のたった3割にしか満たない部分が作り上げた世界の中で、これが全ての現実だと信じて生きている。・・・自分が何故ここに存在するのか、何故この世界に生まれてきたのかは、脳3割で作られた世界の中では見つけることができないような気がするのです。勿論、脳3割の世界も現実の一部であり、社会の一員として生活していくことが基本としてあるのだけれど、今まで以上に上へ下へ周辺へと視野を広げていかなければ、ある狭い世界に閉じこもったままなのでは、という自分の不安感は消えていかないような気がします。。。
 ここ数十年で、視野をどんどん広げて新しい思考を得る人が世界中に出てきて、人間が既存のパラダイムを打ち破りつつある、ということをよく聞くようになった。これまでの何かに疑問をもつ人、新しい何かに好奇心を持つ人などが新しい視野を見つけて、それに気づいた人達が集まってブームになる。そういう風に、新しい思考はみんなの間に広まっていき、その中で味付けされて多くの人に受け入れられやすくなる。人間同士の脳が実は繋がりを持っているということを考えれば、思考の伝播もこういう風に広まっていくんだ、面白いな、と思う。
 でも、自分の脳の残り7割の領域を使って得る新しい思考体系には、多額の金銭は必要ないし、前世占いや未来を占って自分を支配する他人は必要ないし、こうしなければ成長しないという規範も必要ないと思う。テレビや雑誌で世間をにぎわせているような、前世のカルマがどうのこうのと言って他人を脅して精神的に支配する(私にはそうとしか見えないんですが)ようなのは脳の3割以内で行われている行為だと思う。その人の言うことが絶対だと他者に信じさせる関係でスピリチュアルはとうていあり得ない。権威も金銭も脅しも心地よい言い回しも怪しげで高価なグッズまでもごった煮になっている「スピリチュアルブーム」は、陰で仕掛けている人達がどういう人達なのか、夢中になる前に一考すべしと思います。ただ、それでその人が幸せになれてそこで満足できるなら問題ないんだろうけれども。
 古今東西、ありとあらゆる人が、ありとあらゆることを言う。書いている。表現している。それを全て信じる必要もないし、全てを疑う必要もない。同じ人間なのだから、自分以上に絶対的な存在なんて、自分の他はあり得ない。まさに今ここで自分と向き合っているのは自分であるのだから。自分にとって大切で意味があると思うことを自分で感じて選んでいけばいいと思う。溢れる情報の中から自分にとって必要な情報を取り出すことは、決して簡単ではないから、自分の判断力を養うためにも、古今東西多くの人が書いた多くの本を読んで、他人の思考から学ばせてもらい、訓練させてもらうことが必要だと思う。この人の書くこと、言うことは絶対だ、というような人はあり得ない。100%正しい真実を書いた本などおそらく存在しない、100%完璧な人などこの世に存在しない、ということを胆に銘じながら、それでも学ばせてもらう、という姿勢が大切なんじゃないかと思う。
 なんかまとまりのないことを書いてしまいました(^^;)自分でもよく分かってないこと、多いんですけど。。
 
 

 

 


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