あたろーの日記
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| 2006年10月08日(日) |
テレビは有害どころか・・・。 |
旧暦8月17日。 今日も風が強かった。びびって自宅に閉じこもる。と、これが結構心地よかった。窓を開けているので、時々びゅんびゅん吹き込んできて、畳にごろーんとなりながら本を読んでいたのだけど、すぐにうとうととして、また起きて、また読んで、また眠くなって、の繰り返し。その間にいろんな夢を見て、いろんなことを考えていた1日。 携帯電話の会社を変えても番号が変わらないっていうサービスが、もうすぐ始まりますね。私はどうしよっかな。。。Jフォン→ヴォーダフォン→ソフトバンク、と、なんか社名はコロコロ変わりますが、浮気せずに同じキャリアで来たのですが、ここに来てちょっと悩んでいる。うーん。私の場合、電話会社のサービスに疎いので、どの会社にしても同じかな、という気がするのですが。そもそもJフォンを使い始めたのも、田舎の妹がJフォンユーザだったから、ただ真似しただけでして、その後妹はドコモに変えちゃったんですが、気がついたら周りはドコモかauが多くなっていたけど、私はめんどくさいのと同じキャリアを使い続けると長期割引というのがあるのと、せっかく覚えた電話番号を変えたくないのとで、このままきたわけです。あ、そうだった、我が家にはテレビがないので、せめて携帯電話にテレビがくっついていたほうが何かと便利かと思い、今使用しているのはテレビ付きのV402shという端末です。これももう3年以上使用してます。この携帯電話、これまで使用してきた端末は2年位で壊れるのが常だったのですが、まだ故障せずに頑張ってる。というか、不思議なことに、使い始めてからは何度も「故障か!?」というようなことがあった(フリーズしたり、カメラがぼやけたり)けど、使っているうちに治ってきた(笑)のです。よう分からんです。 しかし、しかし、そろそろ、新しい端末を使ってみたくなってきました。いけないなあ。。。えっと、もっと薄いやつで、PCと同じサイトを見ることが出来るブラウザが搭載されてて、エクセルとかワードもひらけて、あといっぱい新しいことができるやつ!だけどゴテゴテの作り込んだデザインはイヤだし、ゲームは全くしないのでそういうエンタメ機能はいらない。ソフトバンクが最近発表した秋冬モデルの中では、HTCとノキアのスマートフォンのどちらかがいいなあと思っていたのですが、HTCのはちょっと期待外れのデザインだし。ノキアのじゃカールツァイスレンズがついてていろいろ使えそうな機能もあるし、デザインもいいし、12月発売予定でまだ先だけど、これ、いいなあ、と思っているところです。 ソフトバンクの新機種見ててふっと、ドコモかauに切り替えてもいいんだよなあ、と思った。というのも、ソフトバンクで今機種変更したら、長期割引等お得な料金プランも継続できるか分からないし。長く使い続けるユーザを大切にしてくれる会社があればそちらに移行してもいいな、という気がする。auから出ている新しい日立のワンセグ携帯もいいなあ。そうそう、ソフトバンクの新しい機種群には、何故かテレビを視聴できる携帯がない。となると、自宅にテレビがない私が機種変更するなら、auに食指が動く、というのもごもっともでして。auのリズモっていうサービス、いいなあ。でも今ある番組リストには見たいと思う物がない。ただ、今後落語とか出てくるようならauに迷うことなく乗り換えてしまいそうです。 と、あれこれ考えてるのですが、たぶん、ソフトバンクのままかいな。テレビつき携帯、いらないかも。持っててもせいぜい日に5分位しか見ないし。携帯電話でもっと多くの情報源にアクセスできるようになるなら、緊急時にテレビを必要とすることもないだろうし。 これは余談ですが、テレビって、恐ろしいと思います。常にテレビがついていて、ヒマさえあればテレビを見ることが当たり前になってしまうと、番組の作り手とその背後にある意図というものまで想像を回すことが出来なくなってしまう。なんで数多ある出来事の中からこれがニュースとして選ばれたのか、どういう切り口でこのニュースは報じられているのか、報道の送り手はどういう視点と思想と意図を持っているのか。どのチャンネルを回しても出てくるタレント、綺麗なおねえちゃんやコスチューム着てお下品なポーズ取って同じことしか言わないマッチョ(もう下火?)、脳天気にゲラゲラ笑い、キンキン声が飛び交い、視聴者から思考能力を奪う脱力番組。暴力を前面に出すことによって成功している映画産業とそれを支えるテレビ業界。社会派的美談番組の装いをしておりながら、意図的に著しく視点を偏らせた番組。もちろん良い番組を作ろうとする作り手も多いので良い番組も沢山あると思うのですが。 テレビというのは、支配する側にとって非常に都合のよい媒体なんだと思います。支配、という言葉に、私も含めて現代の日本人はぴんと来ないし、違和感も感じるかも知れないけど、実際に、テレビによって私たちは支配されている、というのは、私はテレビから離れてようやく気がつきました。実家にいるころは、居間のテレビが当たり前に常についていたのでそういう風には思わなかったけれど。 テレビ番組の直接の作り手が、視聴者を「支配」しようとしているわけではなくて、テレビ局などの人達はむしろ視聴者と同等の立場でしかないのだけれど(私はテレビ至上主義者ではないので)、番組の作り手も無意識のうちに、テレビを利用して人間の意識をコントロールしようとする側に加担しているわけです。人間の意識をコントロール、と書くと、また突飛で訳の分からないことを言い出すなあ、なんて思われるかも知れないですが、そう思う人はすでにテレビの害にどっぷり浸かって、頭の中を支配されている、或いは洗脳されていることに気がつかないんだと思います。 この世の中には「あり得ない話」が沢山あるけれど、決して「あり得ない」わけではなくて、それらを「あり得ない」と思うように出来上がっちゃっている脳のほうが、もともと「あり得ない」んじゃないかということに気づくべきだと思います(反感買いそうな言い方ですが)。 テレビという媒体を使って「支配」しようとしているのは、じゃあ一体何か、ということになると、これは、政府、じゃなくて(政府のやろうとしているマインドコントロールは見え見えだから分かりやすい)、もっと視点をずらしてみると、地球規模で、人間の意識がずっとコントロールされてきた、特にここ数十年では所謂先進国において、テレビという媒体がその役割を担ってきた、と言えると考えると、思い当たる人には思い当たるし、まったく根拠のない突飛な話としか思えない人にはそうとしか思えない。けれど、たとえ突飛な話としか思えなくても、自分が上空何万メートルの地点から、地上を見下ろして、全世界の何億という家庭で一斉にテレビがついていて、何億という人々が四角い箱にそれぞれ見入っている姿を眺めることが出来たとしたら、なんと異様な光景がこの星で展開されていることだろう、と、ぞっとするんじゃないかと思う。しかも、中には、見ているテレビを消されただの、チャンネルを替えられただの、そんなことでカッとなって我を失い、殺人を犯す人間までいるほどなのだから、まさに異様だ。 テレビ番組を通じて、私たちの頭に、新しい知識や免疫を与えてくれ、想像力のトリガーとなる有益な情報も飛び込んでくることはある。けれども、自分の意思でそういう番組を選び、受動的でなく能動的に見ることが出来ないならば、テレビを通じたマインドコントロールにはまりやすいことを自覚すべきでは・・と思います。 インターネットもまたしかり、かと思います。私も人のことは言えないけれど、活字になって、ネットの海を泳ぎだした自分の言葉は、良いにせよ悪いにせよ、強くであれ弱くであれ、読んでくれた人に何らかの影響を与える。この言葉を紡ぎ出している自分は一体どういう意図を持っているんだろう、どこまで何を理解して書いているのだろう、根拠があって書いていることなのだろうか、それとも思いつきの出鱈目なのか、それとも、書かずにはいられない衝動があるということを自覚しながら、言葉を選んで並べているのだろうか。 ネットはテレビとはまた違った種類の危なさを持っていると思います。それから、携帯電話も。携帯電話の新しい機種が出るたびに、1人1人を管理する新しい方法がまた追加されたのかな、という感触があります。電話会社が、政府が、じゃなくて、私たちみんなが携帯電話を持つことによって、「繋がり」やすくなる分、テレビと似たような形で「支配」されやすくもなる、という感じです。 なんだか携帯電話の機種変更の話から、ずいぶんずれちゃいました。そんでもって最後は携帯電話にも気をつけろ、なんて自己矛盾な話(^^;) 久々に時間ができて、うだうだと偉そうなこと書いちゃってすいません。
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