あたろーの日記
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2006年10月28日(土) 古本まつり。

 旧暦9月7日。
 さんざん歩き回って疲れてしまい、もう眠りたいので、急いで書きます。
 今日は昨日の分の日記を書き終えてから、トロトロと支度をして、神保町へ。10時を過ぎて11時近くになっていたし、天気も良かったので、私がついた時にはすでに人出は多く。地下鉄を出てまずはすずらん通りへ。ここにはさまざまな出版社がブースを設けて、自社の稀少本やバーゲン本などを並べている。私のお楽しみは筑摩書房。ちくま文庫、それも在庫僅少のタイトルが半額(去年はBのスタンプ押された本が8割引だったような)。やっぱり人気のちくま文庫だけあって、ワゴンの前は黒山の人だかり。人と人の間にできた隙間に、自分の身体の一部を滑り込ませ、少しずつ前ににじり出る。で、ようやく本の背表紙が読める位置に着ける。ただ、今年は買いたい本がなかった。というか、最初にチェックしてしまったので、節制気分が購買意欲に勝ったかも。次に岩波書店のブースへ。こちらは在庫僅少の岩波文庫が定価で。定価であっても、岩波文庫の在庫僅少本は、あっと思った出逢いの時に買っておかねば。と、『元禄世間咄風聞集』を買う。・・・あとで帰宅して、書棚をチェックしてがーんとなった。すでに持っていた本でした。とほほ。
 今年は(から?)三省堂1階は使用しなくなったんだ。だよねえ、雑誌売り場に変更してしまったから、イベントに一時利用するなんてことできないですよね、でも残念。ということで、すずらん通りをざっと見て、靖国通りへ移動。ここからはホントの古書。古書店が建ち並ぶ通りにずらりと出現した古書のワゴンを、ちとりちとりと眺め回しながら少しずつ進む。凄い人だなあ。やはり、明日の日曜の天気がかんばしくないとの予報のためか、今日に賭けて来た人が多いのかな。どの古書店の前もぎっしり人がいて、人を見に来たのか本を見に来たのか分からない状態。本をゆっくり探そうっていう状況じゃないや。会社の、古書好きでしょっちゅう神保町に入り浸っている人は、この人ごみが苦手で古本祭りの期間中は神保町には行かない、と言っていた。他にもインタビューやエッセイで、神保町がテリトリーになっている著名人が同じようなことを述べていた。そうなんだよなあ、確かに。私はそうちょくちょく来てるわけじゃないけど、予定をやりくりすれば土曜に神保町を散策する時間は持てるし、平日残業がない日なら帰宅のついでに立ち寄ることも出来る。わざわざ揉まれて跳ね飛ばされて疲れる必要もないわけで。だから、途中から、人がひしめいているところは避けて、ふらふらー、ふらふらー、という感じで、余裕で本を探せそうなワゴンとか書棚にのんびり立ち寄っていた。首都圏以外から泊まりがけで来る人も多いと聞く。会場のあちこちで、買った本を宅配便で送りますと案内していた。そういう人達は、この数日間にある程度の収穫を見込んで、意気込んで来ていると思う。私ももし新潟の実家や他の地方に住んでいたら、張り切って泊まりがけで来ちゃうもんねきっと。なので、主役でない(勝手に主役を降りた)私はのんびり廻っていました。ヘンな奴。とあれ、古本のお祭りだしわくわく感はあるので、来年もまた来年も行くぞぅ。
 と、ぐちぐち蘊蓄は脇へ置いといて、お腹がすいたので時計を見ると14時近く。古本まつりの時は例によってまたさくら通りで屋台を開いているメナムのほとりムアン・タイ・なべの両店のカレーを食べる。まずはメナムのほとりのキーマカレー。これ、毎年食べてるなあ(笑)400円。ほんと美味しい。これ目当ての人も多いらしく、周囲の道端でみんな食べている。ココナツミルクと挽肉のコクがほっとさせる。でも食べるのはここでやめて、今年はキーマカレーだけで我慢して、また本探しに行こう。と、立ち上がってまた靖国通りへ。今度は九段下駅のほうまで靖国通り沿いを進む。が、1時間もたたないうちに、グリーンカレーを食べたくなる。意思に反して胃袋と足が勝手に身体をさくら通りに引き戻す。で、気がついたら、ムアン・タイ・なべの、グリーンカレー400円を、手にしていた。こっちはカラーい。ココナツミルクと今度は茄子、こぶみかんのクセがある香りに、ヒリヒリする辛さが加わって、こっちもやめられない美味しさ。あー、結局今年も食べるほうに行っちゃってる自分。まあ、いいかぁ。
 で、靖国通りで買った本。
 『日曜日の万年筆』(池波正太郎・新潮文庫)
 『鬼火の町』(松本清張・文春文庫)
 『自註鹿鳴集』(会津八一・岩波文庫)
 『兵役を拒否した日本人』(稲垣真美・岩波新書)
 『ある映画監督』(新藤兼人・岩波新書)
 『博物誌』(串田孫一・創文社)
『ある映画監督』は、読みたかったのだけど絶版品切れになっていたので新刊書店では売っていない。矢口書店の店舗内で新入荷棚にあった。500円。ラッキー。この本以外はどれも靖国通りの路上ワゴンから。100円〜200円。
 途中、岩波ブックセンターに寄り、『東京かわら版』11月号を購入。東京の寄席情報がぎっしり詰まっているので毎月欠かせない。が、発売日が28日なので、古本まつりに気を取られてすっかり忘れていた。
 人ごみに酔って来たので、夕方は古書会館へ行く。案の定、すいていた。靖国通りからちょっとだけ離れていて目立たないせいか、人が流れてこない。こちらではどちらかというと稀覯本が多いのかな。だけど、会場入ってすぐ、10秒後にはこんなものを見つけた!
 『佐渡方言辞典』(広田貞吉著・発行)
 1000円。思わず抱きしめてしまう。30秒後にはこれを小脇に抱えて、意気揚々として会場を回り始める。

 『江戸編年事典』(稲垣史生・青蛙房)
 昭和48年の版なのにとても綺麗。1500円とは買い得。ちびりちびりと読み進めたい。それと、青蛙房は好きな出版社。特に昔の装幀、函にぴちっと入って、大切そうにされた本。と、奥付にある著者検印。これが、青蛙房のは鳥獣戯画の蛙の上に印が押されている。なんだか可愛くて、青蛙房の本を古書店で見つけると、たとえ手持ちの資金がなくて買えない時でも、棚から引き抜いて奥付を確認せずにはいられない・・・病気です。でも今日の『江戸編年事典』は購入。
 と、古書会館を出たら17時半で、外は暗くなっていた。最後は三省堂書店へ。急に井伏鱒二を読みたくなったので。
 『山椒魚』(井伏鱒二・新潮文庫)
 『夢十夜』(夏目漱石・岩波文庫)
 『叙情歌・禽獣』(川端康成・岩波文庫)
 『秋の街』(吉村昭・中公文庫)
を購入。
 今、『美の死』(久世光彦・ちくま文庫)を読んでいるのですが、まさに、この人のように、小説を批評や、解体・分析、評価するのではなく、また他人が行ったそういう客観的な判断を参考にするのでもなく、自分の感覚が受け入れるがままにじっくりと、小説を読みたい、という気にさせられます。それと、自分が昔読んだ小説でも、今読み返すと、当時とは全く異なる感覚が生まれることもあると思う、否、小説というものは、本来、小説を通して読み手の精神が読み手に跳ね返ってくるものであるような気がするので、だとしたら、同じ小説を10年、20年隔てた自分が再読したら、前回読んだときとは全く異なる自分が跳ね返ってくるんだろうきっと。だから、あの小説は昔読んだから、と、済んだ顔でいるのはなんとも勿体ないことのような気がしています。例えば『山椒魚』は、高校か中学の時に読んだ(教科書で??)けれど、37歳の今の私が読んだら、37歳の痛みがそこに加わるだろうし、70歳の私が読んだら、きっと70歳の想いが投影されるような気がする。・・・小説を読む愉しみはまさにそこにあるのかもしれないです。
写真は、三省堂が閉店して、神保町の活気がすうっと消えた後の靖国通りです。昼間、カレーの写真しか撮ってないので、思い出して携帯のカメラ取り出しました。古書店前の本のワゴンにシートが掛けられている様子。
 帰宅後、またちょっと増えた積ん読の山を整理。しかし、積ん読にも限度が。せっせと買っている割には読んでいない。部屋の本の山が崩れそうなのは、買うと読むのバランスが完全に崩れている証拠だ。書棚を1つ増やして、読んだ本からそこに入れていく、というようにしたいな。しばらくは本を買わない。ひたすら読むことに没頭しようと思います。反省。でも、休日ならともかく、平日は頑張っても2日で1冊読めるかどうか、だ。頑張っても、月に10〜15冊。もっと早く読めるようになりたい。速読法には興味がない。だって、文章をじっくり味わいながら読みたいから。そうなると、集中できる時間を確保することが課題になりますか。現代人って、ほんっとに哀しいな。


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