あたろーの日記
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2006年11月25日(土) |
『狂った果実』。と、ちくま文庫の復刊。と、「火事息子」。 |
旧暦10月5日。 江東区の古石場文化センターへ映画を観に行く。 「江東シネマ倶楽部」という、月に一度、土曜日の昼夜2回、昔の映画を上映してくれるもよおし。この前江戸深川資料館に「さん喬を聴く会」で行った際、チラシを見つけて、このシネマ倶楽部の2006年後期分(10月から来年3月まで)の会員チケット2000円(映画6本で計2000円ですぞ!)を購入したのですが、第1回目の10月28日『にあんちゃん』は、神保町の古本まつりの途中抜け出して行くつもりが、古本見てたり露店のカレー食べたりしてるうちにすっかり神保町を離れられなくなって、映画は行きそびれました。「にあんちゃん」もほんとは観たかったんですが。。 今回は『狂った果実』(中平康監督・1956年日活)。知らなかった、製作はターキー(水の江滝子)だったんだ。原作石原慎太郎。キャストは言わずと知れた石原裕次郎、津川雅彦、北原三枝、岡田真澄ほか。 私はこの映画をちゃんと通して観たことがなくて、たぶん実家でテレビがついていてこの映画を親が観ていても、「昔の裕次郎の映画やってら」程度にちらっとそばで観て、「わからない」ってやめて自分の部屋に戻ったようなそんな程度の記憶しかないです。で、この映画について知ってることと言えば、「石原裕次郎。石原慎太郎。北原三枝。太陽族。日本のヌーベルバーグ」だけ。正直言ってあまり興味なかった。石原慎太郎嫌いだし(そんなこと言っちゃいけないか)。太陽族にもまったく共感できないし。だけど一応は観ておこう、と思ったわけです。 しかししかし、観てよかった。最初、映画の台詞回しが早過ぎて(監督の意図だそうです)何喋ってるのか聞き取れなかったし、働かずに海で遊ぶか女の子ナンパして酒呑んでるかしてるだけの金持ちの坊ちゃん達の生態に全く理解不能で、ただ、当時の不良である彼らの服装がかわいいのと(シャツの柄とか)、彼らが遊びに行き他の不良グループと喧嘩する遊園地が、どうみても浅草花やしきっぽいかわいい遊園地(時代が違うものなあ)なのとかで、結構愉しんで観ていた。 それが、次第に、1人の女性をめぐって、兄と弟の心理劇の様相を帯びてくる。話が進むにつれ、3人の世界がぎゅっぎゅっと濃縮されていく。そして、衝撃的なラスト。・・・粗筋を知らなかった私は、(えっ、こういう映画だったんだ!!)と、ラストシーンが終わった後も、しばらく呆然としていた。 俳優もいい。弟役の津川雅彦と、兄弟の友人役の岡田真澄が特に。岡田真澄演じる平沢フランクが、映画に一本の筋をスーッと通しているような存在感。平沢の目に、滝島兄弟に起こった出来事はどのように写るのだろう。・・・追悼、岡田真澄さん。 慎太郎氏。あーあ。都知事やってる場合じゃないですよ、と思った。都知事やるにしても、都民の税金で海外豪遊なんかしないで、そのお金を都の芸術振興にもっと回してくれればよいのになあ!そういえば、そのニュース(都知事のこれまでの海外出張が基準より異様に高い費用をかけていたという)、ちょっと報道されたと思ったら、以来ほとんど耳にしなくなったけど、どうしてだろう。 映画の話でした。横道逸れてしまって。 会場人数は240人(施設案内による)ほどでしょうか。ここも、年配の方々が多かったです。おばあちゃん・おじいちゃんが特に。あと、私の両親世代。私の隣のおばあちゃん、映画開始5分で船漕ぎ始めました・・・。しかし、他の人達は懐かしい映画に見入っているようでした。 1階入り口ロビー脇に、地元生まれの映画監督である小津安二郎紹介展示コーナーがあって、その中に、シネマ倶楽部でこれまで上映した映画のリーフレットがずらっと並んでいるので、それを1枚ずつ戴いていくことにした。で、順番に1枚1枚引っ張って取っていったのですが、私の前に同じように取っているおじさん、「よっ」「よっこら」「よしっ」と呟きながら、1枚引っ張るごとに、指に唾つけている。。。取るのが遅くても構わないから、唾だけはつけんでくれぇ〜っ、と、心の中で叫び続ける私。おじさん・おじいちゃん達って、なんでもそうなんだよなあ。チラシ引っ張るとき、指にチッ。古本屋で本のページをめくるときも指にチッ。新刊書店で雑誌をめくるときもチッ(!)頼むから『サライ』立ち読みしながら指舐めんでくれ〜っ! そういうわけで、古石場文化センターを出たのが夕方。小津橋という、小津家の名を冠した小さな橋を渡り、深川の夕暮れを楽しみながら、門前仲町の商店街を歩く。まだ16時半頃だったと思うけど、魚三酒場の中はどうやら満席らしく、外に5・6人位の行列が出来ている。ああ、門前仲町に棲むオヤジになりたいわぁ。その隣が朝日書店。あらかじめ門前仲町に古書店はないかな、と、ネットで調べてきた。想像していた、街の古本屋さん、とは趣がちょっと違って、明るくてすっきりした感じ。でも本は安くて趣味がいいと思いました。今回は何も買わずに出てきたけど、門前仲町に来たら必ず寄ろう。 深川不動の門前通りをちろちろと眺め、あげまんじゅうを1つ買って歩き食い。遠方から帰ってきたのだろう、着物を着てトランクを持ったちょっと粋なお姐さんが、お不動さんのほうを向いて立ち止まり、軽く一礼してから脇道に入っていった。 こんな光景、ふと目にすると、なんだか嬉しくなる。 その後清澄白河駅まで清澄通りを歩いていき、そこから半蔵門線に乗って、神保町まで。まだ開いている古書店をちょいちょいと覗く。キントト文庫で、後から入ってきた若い女性2人連れが、「『まぼろし小学校』、どこで見たんだっけ・・・」と会話しながら必死に探している。串間努さんの『まぼろし小学校』(ちくま文庫)のことかな。だったら三省堂のちくま文庫コーナーに「ものへん」「ことへん」の2冊があるよ、と、教えてあげたいのだけど、口にする勇気がない。教えてあげると古書店のお客を逃がすことになるので(と、自分で自分に言い訳)。本屋さんにいると、時々そういうことがある。店員さんに「○○っていう本ありますか」とお客さんが訊く。と、店員さんも、さあー、という顔で困っている。つい、どこそこの棚にありますよ、とか、○○文庫に入ってますよ、と口を挟みたくなるのだけど、どうも勇気が出ない。店員でもないしましてやお客さんの知り合いでもないので、余計な口出しすまいと思うのだけど、やっぱり、書棚の前で何食わぬ顔していながら、そういう会話には耳がダンボになってしまう。以前、どこぞの書店で口を挟んで、お客のおじいさんと店員さんにお礼を言われつつも、「この人誰だっけ」という顔をされたことがある。誰でもないんです、私。。。他のことにはまったく記憶力ないのに、書名に関しては自分でもびっくりする位覚えているみたいだ。たぶん、私だけじゃなくて、書店巡りが好きな人の頭の中には、ある程度そういうデータベースが出来上がっているんじゃないかと思う。・・・キントト文庫を出て、古書モールに寄り、しまいには三省堂書店に近づき、とうとう吸い込まれる。2階の文庫本売り場で呆然となる。ちくま文庫の復刊がずらりと・・・!筑摩書房のサイトは2〜3日に1ぺんは見てるのに、復刊については知らなかった(ゆえに、予算に入れてなかった)。ちくま文庫って、欲しいと思った時に買っておかないと、意外と品切れになりやすい気がする。とはいえ、一度に何冊も買えないので、棚の前でしばし迷う。買ったのは、『書物漫遊記』『食物漫遊記』(種村季弘)『食物・・・』のほうは8月だか9月だかに復刊されていたもの。最近種村季弘という人が気になるので。 他に今回復刊されていたので気になったのは、『私の猫たち許して欲しい』(佐野洋子)、『天皇百話上・下』(鶴見俊輔編/中川六平編)、『ロッパの悲食記』(古川緑波)。谷崎潤一郎の大正期の短編集もあったけど、どうしようか迷っている。少しずつ買い足している中公文庫のラビリンスシリーズと重複しそうだし。ともかく、今日買わなかったちくま文庫復刊本、また書店から消えないうちに、ちょこちょこ買おうと思います。 1階の雑誌売り場で『暮しの手帖』『ミステリマガジン』『週刊読書人』を買い、地下鉄に乗って自宅最寄り駅で降り、スーパーで鍋に入れる鶏肉を買う。嬉しいことに、新潟は栃尾の大きな油揚げが、豆腐コーナーに売っているので、酒の肴にしようと思ってそれもカゴに入れる。また嬉しいことに、にぎり寿司に半額シールが貼られて売り場に人が群がっていたので、鮭のにぎり5カン190円もカゴに入れる。銭湯に寄って、帰宅し、鍋の用意。宅配で届いている野菜をどかどか入れる。今日は醤油ベース。栃尾の油揚げは、魚焼グリルでちょっと焼いて、2口大に切って、スライスした玉葱をのせて醤油をかける。発泡酒とカップの日本酒をちびーりちびーり呑みながら、先日買った『本の雑誌』最新刊を読む。いつも楽しみにしているページに、ふと、学生時代からの友人のことをみつけて、(なるほど、筆者とはそういえばそういう繋がりだったのかぁ)、と、思う。 最後はiPodで圓生の「火事息子」を聴く。というのも、『落語手帳』(江國滋/ちくま文庫)を読んでいたら、三木助の「火事息子」について書かれてあったので。あいにく、この噺、桂三木助では持っていなくて、三遊亭圓生のものをiPodに入れてあった。圓生の噺をじっくり聴く。ちょうど、今の季節に合う噺なんだと思う。江戸の夜の風景が、頭の中に立ち現れてくる。今度は図書館で、三木助の「火事息子」を探してみよう。
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