あたろーの日記
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2006年11月28日(火) うるさい、ほっとけ!

 旧暦10月8日。
 昨日書いた中に間違いがありました。『江戸東京《奇想》徘徊記』は、復刊じゃなくって、「待望の文庫化」(帯より)でした。すいません。
 NHKの受信料って、テレビない家は当然払わなくていいんですよね。私はかなーり前に、杉並に住んでた頃だったかにちょっとだけ払ったきりで、今の住所に移り住んでからもNHKの人訪ねてこないし(不在がちだからかな)、訪ねてきたら「我が家にはテレビありません」と言うつもりではいるのですが、ネットのニュースとか読むと、未契約世帯もなんらかの措置を取るらしいし、そんなこと言われたってテレビがない家庭(私の周囲にも少なくとも3世帯ある)や、テレビが飾りだけでたとえば家と会社の往復でテレビ見る時間全くない独身者だって、存在しないわけじゃないだろうに、誰もが当然テレビを見る、或いはテレビ放送が価値あるものだ、という考え方のもとに行動しているNHKって、やっぱ嫌いだなー。私はテレビが嫌いだし、不要だと考える人間なので、NHKの受信料絶対払わないよ、つうか、テレビないから当然払わないもんね(意固地)。
 それにしても、受信料払わない世帯を対象に民事手続きとは、NHKの感覚ってやはり凄く殿様だなあ。そんなに価値ある放送局なのかな、そんなことするほど立派な放送局なのかな、と思っちゃう。自分たちのこと棚に上げてるとしか思えないし。
 ・・・人と話していて、テレビ番組やタレントの話題になったとき、私がテレビ持ってないと知ると、驚いて大騒ぎする人が時々いるのですが、私のほうこそ、なんでテレビがないことがそんな驚くことなのか、と、不思議に思う。人によっては、会うたびに、私の家にテレビがないことをネタに周囲巻き込んで騒ぎ立てたがる人もいるのだけど、そういうのはもううんざりだなー。あんた人の家の電化製品のこととやかく言うんだったら、そんな大好きなテレビと心中すれば、と、言いたくなっちゃう。
 私も、20代の頃は、朝起きてテレビつけてニュース見て、帰宅すればテレビ見ながら夕ご飯、ということもあったし、銭湯のロビーでテレビがついていれば、ソファーに座ってちょこっと見ていくこともあるけれど、自宅になきゃないで全く不便を感じないし、テレビ番組を見ないことで、他人と価値観を共有できないとか、大切なことを見逃しているとか、そう考えるのはまったく馬鹿げてると思う。時々、「テレビが家にないなら、家で一体何してるの」と訊かれるのですが、そう訊いてくる人ってもしかして家でテレビ見ることしかしてないのかな、と、びっくりしてしまう。まさかなあ。
 テレビを見ている人を非難してるわけじゃないんです、別に。そういうことじゃなくて、今の世の中って、どうして、人と違うことしてると、驚かれたり騒がれたり、挙げ句非難されたり説教されたりするんだろう、と。
 テレビを持ってないこと、銭湯暮らししてること、1人で呑みに行くこと、等々。なんか、自分と違う行動パターン持ってる人に対して、いくら理解できないからって、「それっておかしいよ」「間違ってるよ」「○○すべきだよ」って、指図する人が案外多いのには、閉口する。私は私であって、あなたじゃないんです、と、いつも心の中で反論しながら、表面上は「あーはいはい」とやりすごす。他人と違うことがヘンだとされる世の中こそ、相当ヘンだ。私がうだうだ書いている日記を読んでくださっている方は、「あたろー毎日楽しそうだよなー」と笑ってくださっていると思うのですが、どうも、いつもありがとうございます、って、あらなんのこっちゃ、えっと、つまり、みんな同じだったら、つまんないよー、って、そう思いますよね。
 他人と違うってことがあって、当然。誰にでも、どこかしら、他人と違う部分がある。なのに、何故か後ろ指さされる時代。
 「うるさい、ほっとけ!」と言いたくなる、時々。いちいち対応するのが馬鹿馬鹿しくなる。なんか生きづらいよなあ。って思ってる人は、沢山いるはず。
 あー、ここに書いたら、ちょいとすっきりしました。 
 今日は愚痴っぽい日記になっちゃった。


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