あたろーの日記
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2006年12月02日(土) 雑司ヶ谷界隈なんとなく江戸散歩。

 旧暦10月12日。
 隣の区の図書館へ落語のCDを返却に行き、また借りてくる。落語は桂米朝を中心に、10枚。うち2枚は民謡と鼓童(太鼓)。
 散歩と運動も兼ねて自宅から歩いていったので、自由自在に道を曲がってあちこち立ち寄る。というか、いつものことだけど結果的にそうなってしまふ。
 図書館を出て、護国寺へ行った。ほんとうはその前を素通りして目白方面へ行くつもりだったのだけど、そういえば自転車通勤時はいつも前を通るだけだもんなあ、と、たまには境内覗いてみようと思いまして。
 
 ・・・携帯電話で撮った写真、また縮小サイズ間違えてしまいました、すいません。。
 境内は参拝客が両手で数えられる程度で、静か。けれども、京都の朱雀大路を模した(知らなかったなあ)とされる前の音羽通りはじめ周囲から車の行き来する音がゴオゴオと遠鳴りに響いてきて、やっぱり都会のお寺だわ、という感じがした。
 しかし、元禄期に造営された本堂に入ると、そこには数多の仏像が鎮座し、徳川の代から今に至るまで江戸東京の移り変わりを静かに護ってきた厳かな空間がある。
 本堂の中は拝観料無しで入ることが出来る。1人2人と靴を脱いで上がっていくので、私も真似する。しーんとしたお堂の中、護摩壇や聖天壇の裏側に回って、安置されている沢山の仏像を見ることが出来る。不動明王、四天王、圧巻なのは、「観世音菩薩の化身でそれぞれに桂昌院の御髪が納めてある三十三身像」(護国寺HPより)です。薄暗い中にずらりと並んでいる。こ、こんな都会の片隅に、こんなに揃っておられましたか、という感じ。何十にも上る仏像の中を静かに行ったり来たりしているうちに、次第に、日頃のせわしなさとか、焦りとか、いらついた気持ちなどがすーっと融けて消えて、柔らかくて温かい落ち着いた心持ちになっていくのが分かる。なにか忘れ物してるぞー、と、どこからか声が聞こえてくるような気もした。
 帰ってから護国寺のHP調べてみて、ご本尊の如意輪観世音菩薩が美しいのにびっくり。こちらもいつか拝見する機会を楽しみに。
 本堂を出て外を眺める。お寺の前の音羽通りが朱雀大路をイメージして造られたとは知らなんだ、と、しみじみ思う。毎日チャリンコで汗かきながら護国寺を素通りして朱雀大路を駆け抜けていた我が無知を嗤う。
 境内にはどうやらお年を召した雌らしい猫が、同じ場所でずっと昼寝をしている。外は十分寒いのだけど、植え込みの下がお気に入りらしい。本堂に入る前と出てきた後にちょっとかまって、頭を撫でたりしたら、「なあに〜?」という感じでこちらに反応を返してくれて、気持ちよさそうに撫でられるままになっていたのに、私と入れ違いに境内に入ってきた高校生の男の子達に脅されて、飛び上がって植え込みの奥に退いていった。あーあ、君たちなんてことすんだよ!と振り返って見ていたら、「猫いじめんじゃねえよーっ」と、仲間の高校生にたしなめられていた。
 のんびりした晩秋の夕暮れ。
 そういえばこの辺り、夏目漱石、泉鏡花、永井荷風のお墓がある。コンドルさんもいる。ジョン万次郎も眠る。今度行かなきゃ、と思う。せっかく散歩に来れる距離に棲んでいるんだし。
 今日はお墓参りはよして、護国寺を出て不忍通りをすたすたと目白方面へ歩く。と、歩き続けて、不忍通りと目白通りが出逢う地点で、大通りから脇道へ入ったところにある眺めに目を奪われる。早稲田新宿四谷方面をぐぐーっと見下ろす2本の細い坂は、富士見坂と日無坂。なるほど昔ならここから遠く富士山を眺めることが出来ただろう。今でも見えるかも知れない。日無坂とはまたどうしてそういう名前なんだろう。それだけ薄暗い坂だったのかな。帰宅後ネットで調べたら、民家を挟んで写真右側の富士見坂が豊島区、左側の日無坂が文京区だそうです。ついで、嘉永期の切絵図(『江戸切絵図集』ちくま学芸文庫)で探してみると、どうやら江戸時代には写真左側の日無坂のみだったらしい。当時はこの坂の両側はそれぞれ、大岡主膳正と松平大炊頭の下屋敷のようである。なるほど、武家屋敷の間の細い坂道が明るいわけがない。塀に挟まれ木々が太陽を遮り、昼でも辻斬りに遭いそうな、ちょっと怖い場所だったのかな、と、勝手に想像してなんかわくわくしてきた。
 再び歩き始め、やがてなんとなく昭和レトロな橋に出逢う。明治通りと都電荒川線が池袋と大塚方面からそれぞれやってきて出逢って並行する地点で、その上をまたぐ目白通りにかかっているのが千登世橋。橋の上でまたはっとして立ち止まる。色づいた木々の間、下を走る都電の線路のずっと先に、新宿の摩天楼がそびえている。さきほどの日無坂と富士見坂の眺めといい、この千登世橋上からの眺めといい、歩いていると、時々景色の一部にぐいっと胸ぐらをつかまれるような、待ってましたとばかり手招きされるような瞬間ってないですか?ここは自分だけの秘密の眺めだ!って思えるような。・・・でも実際後で本やネットで調べたりすると、その場所についてちゃあんと誰かがすでに書いている。自分だけじゃなくて、他にもその場所にはっとさせられる人が、結構いるもんだと知るのですが。それだけその場所に意味があり、歴史があり引き寄せる力があるのかも、とも思う。と、そういう場所でなくて、ほんとうに自分だけしか気づいてないんじゃないかと思うような場所も、誰にでも、たぶん毎日の中でいくつかあるんだとは思いますが(そういう場所を大切にしていきたい)。
 千登世橋には記念碑が建っていました。それによると、「昭和7年に橋長28.0m、有効幅員18.2mの一径間鋼ヒンジアーチ橋で架設され・・・明治通りと目白通りとの立体交差橋で都内でも土木史的価値の高い橋として『東京の著名橋』に指定」とある。なるほどー。そうなると、『東京の著名橋』っていうのにも興味が沸きますな。建築のことはちんぷんかんぷんですが、橋とか坂って好きだなー。これって私の勝手な思いこみかも知れないのですが、人っていうのは、境界にあるもの、に惹かれるような気がする。橋はこちら側とむこう岸を繋ぐもの、坂は上と下とで行き来するもの。日常の中に潜む、こちらとあちらの間にあるあわいに自分が立っている瞬間を、なんとなく、人は怖れながらも好いているような。極端な例が、墓地の入り口とか。
 その後、目白通りをずーっと歩き、JR目白駅を超えて、目的地であるブックオフに辿り着く。いや、池袋をぐるっと経由して帰ろうと思ったんですけど、ついでに行ったことのない目白のブックオフに寄ってみるかあと思いまして。そこで、『マタレーズ暗殺集団(上・下)』(ロバート・ラドラム/角川文庫)、『久保田万太郎集』(新潮社日本文学全集)を各105円で購入。久保田万太郎の小説を読んでみたいと思っていたのですが、岩波文庫のは品切れで、講談社文芸文庫のを買おうかなと考えていた。でもブックオフで見つけたのは収録作品数も多いし、旧仮名遣いなので嬉しい。
 すっかり暗くなった目白通りをちょっと来た道戻り、脇の住宅街から近道して、明治通りに出ると、目の前は古書往来座。ここでしばらく書棚を眺め、今日は何も買わずに出て、さらに池袋駅方向へ歩き、ジュンク堂に入る。『俳句とあそぶ法』(江國滋/朝日文庫)を買う。ちくまPR誌の『ちくま』が欲しいなあと探したのだけど、入手できず。ほんとに、最近手に入らない。いよいよ、定期購読すべか。
 駅前からバスに乗り、銭湯、スーパーに寄り、帰宅。自宅で晩酌しながら、(社)落語協会のインターネット落語会を観る。柳家小里ん「棒鱈」、金原亭伯楽「お直し」、面白い。「棒鱈」に出てくる田舎侍の「赤べろべろの」には、いつも笑ってしまう。伯楽師匠のマクラ、ご自身の豊富な経験談でたんと笑わせてくれる。視聴は無料です、12月10日までで、その次また番組替わります。


 


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