あたろーの日記
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旧暦10月13日。 2007年用の「ほぼ日手帳」、ページは今年の12月1日分から始まっているので(12月分は1月以降の半分のスペースしかないけど)、嬉々として、来年を待ちきれずに使い始めている。12月1日の欄からびっしりと書いている。はてさていつまで続くやら。 私の場合、仕事で打ち合わせや訪問があるわけじゃなし、毎月ほぼ同じ日にちに締め切りが繰り返されるので、特に仕事の予定を手帳に書き留める必要はない。そもそも、仕事で手帳が必要になればそれ用の手帳を別に用意したいほど「ほぼ日手帳」は好きなことで埋めたい手帳であるからして、ほんとに好きなことだけ書き綴る。読んだ本、観た聴いた落語、観た映画、聴いた音楽、買った本、まわった書店、訪れた神社仏閣、散歩の記録。どれだけ歩いたどれだけ走った。思いがけず美味しかった買い食いのお菓子。いただき物のお菓子。美味なる酒の銘柄。美術館に博物館。景色のいいところ。気に入った銭湯。それらのデータを、ちょこちょこと記録する。または独り言よろしく書き連ねる。今年もそんな感じでいたのだけれど、一生懸命書いたのは最初の3ヶ月くらいまでで、後は白紙のページが目立った。時々思い出して書くのだけど、その都度手帳を開いて書かないと、後でやろうなんて思った時点でもうアウトだ、こういうのって。 だから来年こそは、いや、この12月からこそは、もっとマメに手帳を開く人間になろう、と決めた。別にいちいち記さなくてもいいことなんだろうけど、やっぱり記録しておくのは役に立つ。今年だって、時々前に書いたページを開いて、読んだ本や観た映画のデータや感想を拾い読みしたり再確認して、自分なりに得ることは多かったので。 もっとメモ魔になろう。 と、今日から、手帳に、1日1句、したためることにした。 何をって、俳句です。 『俳句とあそぶ法』(江國滋/朝日文庫)を読んだ。内田百�寮萓検壁期寮萓検△箸覆譴覆譴靴�呼ばれるのはお嫌いだとは知らなんだ)を読んでいて、先生が俳句を作る話が出てきたからというのもあるし、山頭火が好きだというのもある。自慢ではないけれど、私の句歴は長い。初めての作句は小学4年の時である。ただ、インターバルも長い。25年くらいある。四半世紀の間、ほとんど俳句を作らなかったんである。正岡子規より長生きしているのに。時々、俳句っぽいものが頭に浮かんだりしてはいたのだけど、書き留めなければすぐにどこかへ飛んでいってしまう。よって、上達もへったくれもあったものではない。 江國滋氏は、もうお亡くなりになっているけれど、なんとも早過ぎる死だったかなと思うけど、面白い本を残してくれたんだな、と、今になってようやく知る。落語に関する随筆しかり、俳句についてもしかり。俳句については、入船亭扇橋、永六輔、小沢昭一、桂米朝、永井哲夫、柳家小三治、矢野誠一と言った楽しそうな面々と、「東京やなぎ句会」という句会を長い間催していたそうで、その「東京やなぎ句会」の模様がこの本にも綴られている、それが滅法面白い。この本を、「読んでおもしろいものにしたい」とは著者の解説でもあるから、そうなんだけど、メンバーそれぞれのカラーが句にもにじみ出てしまう、そのおかしさ。しかし、大まじめで真剣で殺気立ちもする句会の様子を、想像するに、それはそれで充実して楽しい会だったのだなあと。 この本は、俳句初心者に向けて江國氏が書き下ろしたもので、難しいことはあんまり書いてない。昨日、とりあえずなにか俳句の入門書なる文庫本を、と思ってジュンク堂をうろついて、岩波文庫の『俳句はかく解しかく味わう』(高浜虚子)とどちらにしようか迷ったのだけど、まずは読んで楽しそうな江國氏の本を選んだ。 初心者向けに難しいことは避けて、とにかく作句の意欲をかき立てるように書かれているのだけど、言葉の感覚に鋭い氏のことだから、やはり一家言、こだわりはぼんぼん出てくる。読んでいて、素直に氏の考えや指導に従える部分と、自分はそうは思わないなあ、という部分がはっきり出てくるので、それはそれでまあ割り切る。そういう考え方もあるのだ、と思う。句にも好き嫌いはある、当然。私はやっぱり、山頭火の句も大好きだ。定型から外れてばかりだし、自分から何もかも捨てて放浪の人生など、ある意味無責任な生き方だけれど。生き方がそのまんま、句になっている。 ともかく、私も俳句を作ってみよう、という気持ちにさせてくれる本。ただしとてもとても、人様にお見せできるような句ではないからして、手帳に、季節の移り変わりの中で感じ取ったことを、五七五の世界に切り取って記してみようと思う。幸い、何年も前に買った季寄せもある。言葉に対して、もっと鋭敏な感覚を持ちたい。そんな気持ちもあります。
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