あたろーの日記
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旧暦10月17日。 昨夜は職場の人達と急遽呑み会。今日は仕事帰りに神保町に寄る。三省堂で『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ/入江真佐子訳/ハヤカワepi文庫)を買う。幸運にも、筑摩書房のPR誌『ちくま』を貰うことが出来た。 書店を出て、23時までやっているカフェというか、チェーンのコーヒーショップで、22時半まで、本を読む。ほんとうは書きかけの文章の続きを、と思ってノートを持ち歩いているのだけど、『わたしたちが・・・』が気になり、読み始める。 一昨日、寝る前に『犬狼都市(キュノポリス)』(澁澤龍彦/福武文庫)を読んだのだけれど、さすがにその夜は寝つきが悪かった。「犬狼都市」「陽物神譚」「マドンナの真珠」という3作の短編。人間の娘と狼とのまぐわい。奴隷の男根を切り取る残忍な皇帝。屍となった男達の操る船に捉えられたまま共に旅をする3人の女と少年。 本を読んでいて、物語を読んでいて、そこに描かれている世界へ想像の旅に出掛ける時、ふつうは、自分が今存在している空間から上へ横へとごく自然に移動しているような気がするのに、澁澤龍彦を読むときは、あの有名な氏の書斎、あるいは博覧強記の人の地下の書庫にある秘密の扉から、複雑に歪みきった空間を通って、簡単には戻って来れないような世界へ放り込まれてしまうような感じがする。本に描かれた世界を、薄暗い書斎や書庫の扉からのぞき見ていたら、いつの間にか足を踏み出してしまっているような。だから、その、書庫の向こうの世界へ気軽に行ってひょいっと簡単に戻ってこれるような精神状態の時は、澁澤龍彦を読む気になれるけれど、そうじゃない時は寄りつきたくない、そういう作家だ。どうも私にとっては、お酒で言えばテキーラとかウオッカとか、ごくたまーにしか飲まない、しかも飲む前にちょっとした気構えが必要な種類のものみたいだ。かといって嫌いじゃない、嫌いじゃないから飲めるのだけど、普段飲み、は、しないなあ、という感じの。で、飲むと実際、ぐるぐる回っちゃう。澁澤龍彦は評価の高い作家だし、今でもひじょうに注目されているけれど、私はそんな感じで、怖がっています。
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