浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年02月25日(月) |
無意識の力/『常世の森の魔女』と『白銀の聖域』のあとがき |
『ふらいんぐ・だっちまん』、UPしたそばからまた加筆修正したくなってしまった。修正UP2回。これが私の悪い癖である。 ほとんどのギャグは、チャット中の会話がヒント。後は、自分でもどうしてあんなセリフが出てくるのかわからない。「(ミハエルは)他人を跳ね飛ばす癖がある」というセリフを誰かに言わせようと思いつくと、そこにかつて跳ね飛ばされたハインツが登場していて、自分でも驚いてしまう。無意識のうちにそれを考えていたのかもしれない。「物語の方が何を語るか教えてくれる」と思うのは、こんなときだ。
昨日たまたま本の山から再読しようとして、ひさしぶりに取り出した本が3冊あった。『常世の森の魔女』(スーザン・シュウォーツ)、『白銀の聖域』(マイケル・ムアコック)、『エンダーのゲーム』(オーソン・スコット・カード)である。ところが、最初にあげた2冊を読んで、偶然の一致に驚かされたのである。 『常世の森の魔女』は、アーサー王伝説と聖杯・聖鉾伝説を描いたワーグナーのオペラ『パルジファル』に題材をとったファンタジーだ。『地獄の黙示録』についてのサイトで、映画と聖杯伝説の関連を述べた記述があったので、あらためて読んでみようと取り出したのだ。 この本の「著者あとがき」を見てひっくり返った。「さまよえるオランダ人」という単語が出てきたのである。こんなところまで覚えてるはずがない。なんだこの偶然は? そして今日、『白銀の聖域』を読了し解説を読んだところで、ムアコックがこの作品の手法の手本にジョセフ・コンラッドの作品を挙げていたことを知った。コンラッドの『闇の奥』は、『地獄の黙示録』の題材となった作品である。 たしかに、ムアコック作品の数々には聖杯・聖鉾探求だけでなく『地獄の黙示録』のような作品と共通するようなバックグラウンドはあるだろう、と今になって思う。だけど、昨日『白銀の聖域』を手にとったときには、そんなことは少しも考えてもいなかったのだ。なんだ、なんだよ、この偶然はいったいなんなんだっ! ユング派の言うシンクロニシティ(共時性)って、こんなことなんだろうか。 無意識というのは、表層意識が失っている膨大な記憶を蓄え、あらゆる形でメッセージを送り続けているのかもしれない。
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