浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年07月12日(金) アンドレティ親子/F1との出会いから4年

パパのマリオ・アンドレッティはCARTチームのオーナーへ、息子のマイケル・アンドレッティはIRLチーム設立へ?
なんだかこのニュースを読んで、戦国時代に真田兄弟などの武将達が親族で東西に別れて生き残りを計ったのを思い出しちゃいました。(をい)
まだハッキリ決まってないようですが、彼らの動きでCARTとIRLの人気バランスがかわってくるかもしれない。マリオとマイケルの親子は、どちらもアメリカ人ドライバーの大スターですからねえ。今後の動向が気になります。
マイケルがIRLに行くとなれば、長年の仲間であるCART界への義理も人情も振り切りがたい。パパが残ってCARTを盛り立てることを考える。そういうことなのかなあ。

さて、マリオの方の記事に「ニューマン/ハース」というチームの名前が出てまいります。ここはもちろん、ポール・ニューマンがオーナーのひとりとして参画してるチーム。
ポール・ニューマンの名前を聞くと、いつもニキ・ラウダの火傷痕も生々しい顔を連想してしまう私です。
私が初めて記憶にとどめたF1ドライバーの映像は、ニキ・ラウダの顔だったんです。深夜であったのは覚えていますが、「カーグラ」のようなF1の特集をする番組だったのか、記憶が定かではありません。
命にかかわる火傷を負ってわずか数週間でレースに復帰した、というナレーションがあって、その時「ポール・ニューマンもサーキットに訪れた」という言葉が入ってたのを覚えています。インディアナポリスあたりのレポートだったのだろうか。ラウダが火傷を負った年は、雨の富士でF1開催されたというから、それに関連する特集だったのかもしれません。
今もラウダの顔にその痕跡は残っているけれど、復帰直後の火傷痕はまだ赤く生々しく、それは痛々しい姿でした。ドライバーというのは、おそろしいほどの執念とリスクをものともしない度胸を持っているのだ、とそう感じたものです。

その後となると、記憶に残ったF1のニュースは「セナの死亡事故」。なんて長いブランクなんだっ。
なぜチャンピオンになるほどの人が事故で亡くなってしまったのか知りたくて、初めてF1誌を立ち読みしたのがその時。
ミハエルとの最初の出会いは、その本だったのだろうか。でも、F1にはまるのは、さらに数年後になります。

シェルのCMで、空中給油機がF1マシンに給油するのがあったでしょう。そのメイキング映像を「世界まるみえ」で放映したときが、ミハエルとの初めての出会いだったんじゃないかな。撮影の見学にあの赤いレーシングスーツ姿で来てたのが映ってたんですよ。意外と若い子が2年連続チャンピオンなんだ、端正な礼儀正しそうな子だな、というのがその時の印象。(レーサーってのはワイルドなおじさまが多いと思いこんでたから(笑))
同じ頃にスポーツニュースで、日本に参戦に来ていたラルフの特集を見たんじゃないかな。あどけない顔した坊やが親元離れてガンバってるんだね、と感心したり。

グランプリはBGVがわりにタラタラと眺めているばかりだったのが、こりゃあ面白いかも?と思ったのが、97年スズカ。
マシンがキレイに見える雨のレースを待ち遠しく感じるようになったのが、98年イギリス。(だから「じゃーじゃー雨が降るように」とこんなハンドルになったのさ(笑))
完璧にはまってしまったのに気がついたのが、98年ベルギー。これ以後はビデオ録画を忘れないようにつとめたし、ドライバーの顔ぶれを覚えきっていなかったので、初めてF1誌を買いに走った!
CARTのビデオを見せてもらってはまったのは、このしばらく後だ。翌年からのF1移籍をささやかれていたザナルディに、見せてくれた友人と私が興味を抱いたのがキッカケ。

それから4年。長かったようにも、短かったようにも思える。レギュレーションやチームの競争力もかわった。ドライバー達の顔ぶれは、かなりかわった。
レースが好きなことはかわらないが、自分のレースの楽しみ方は少しずつかわってきた。時折思うのだ。一番幸せだったのは、先の懸念など考えもせず無邪気に眺めてた最初の1年だったのではないかと。
愛しいドライバー達が年を経て、それを取り囲む状況がかわるにつれて、焦燥が胸を焼く。新しく参戦したドライバー達にも魅力を感じるが、初めての恋を凌駕する恋慕を抱くのは、なかなかにむずかしいことなのだ。
これからまた数年がたったとき、私のレースの見方・楽しみ方は、またかわっているのだろうか。


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