浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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ふう、またグルグルが始まってしまった。グルグルと同じことばかり考えて落ち込んでる自分は好きじゃないし、ネガティブで情けない。グルグルと自己憐憫の堂々巡りになって思考停止してしまっているのだ。 書いては消し、また書いては消す。そんなことを数日続けている。心の中にしまいこんでいると、思いがふくれあがって爆発しそうになってしまう。 この季節になると思い出す、可哀想な人の話だ。私が幸せにしてあげられなかった人の話だ。哀しい昔語りだ。
その人は、山間の小さな村に生まれた。若い頃から病弱だったので、実は結婚するつもりはなかったのだという。 こまめに働く真面目さを気の強い姑に気に入られ、息子の嫁と乞われて行ったのだが、その生活はなかなか厳しいものだった。子宝に恵まれたのもつかの間、一家は破産し、家を手放すことになった。生まれた子供達は病気がちで、年中医者に通っていた。 重病を抱えて生まれた下の子供は、ふとした病で死んでしまった。片言を喋りだした頃だったが、痛いとも苦しいとも言わず、死んでいった。骨あげで見た子供の骨は、拾い上げようとすると砕けてしまうほど、薄くもろかった。 夫が事故で亡くなったのは、その半年後だった。 そして彼女は、残った子供のために働き続けた。 彼女は、夫の残した時計を使っていた。ネジ巻き式の古い腕時計で、何年もたつうちにベルトは壊れていた。それをバッグに入れて持ち歩いていた。 毎日そのネジをまき、狂いがちな時刻を合わせて、仕事に出かける。家に戻ると、家族の食事を用意する。暗い台所に入り、自分で作る料理は味気ないと言っていた。出来合いの簡単な炒め物にさえ、人の作ってくれた物は美味しいと喜んだ。
彼女に最後に会ったのは、お盆だった。久しぶりに会ったその顔はやつれ、油の切れかけた機械のように動作が緩慢になっていた。まだ子供が小さかったから、手術を受けなかった。いずれこんな症状が出るのはわかっていたのだと言っていた。 気丈な彼女が、珍しく弱音を吐いた。彼女が助けを求めるのは、よほどのことだった。 それがわかっていながら、私は自分のことで精一杯で、彼女に何もしてあげられなかったのだ。手を伸べることをしなかったのだ。
彼女が亡くなったのは、それから1カ月後のことだった。眠りについて、そのまま目を覚まさなかった。その前日まで、働き続けていた。 遺品の亡夫の時計は、どこにいったかわからない。古い壊れた時計。大切な物がなんなのかなんて、他人にはわからないものだ。
彼女と墓参りに行ったとき、話してくれたことがある。子供の命日には、必ず蛇が姿を見せる。TVで写真や映像を見ただけでさえ、悲鳴を上げるほど嫌いなのに、彼女はいつも蛇に会う。あの子は巳年生まれだから、蛇になって挨拶をしに来るのだ、と笑っていた。 夏草を揺らす風に、彼女は耳をすましただろうか。池や川に広がる波紋に、目をこらしただろうか。立ち止まり、蛇が現れるのを待ったろうか。 蛇はほんとうにいたのだろうか。現れたのだろうか。彼女とは何度も墓参りをしたが、私はただの一度も蛇を見たことはない。 彼女が亡くなった後で、思い至った。蛇は脱皮をするゆえに、再生と輪廻を意味する生き物だった。失われた赤ん坊の生まれ変わりを、彼女は見たかったのだろう。
生まれ変わりと言えば、不思議な話がある。 彼女の兄夫婦には、長い間子供が産まれず、一時期その下の子供を養子に迎えようかという話も出ていたという。 彼女の赤ん坊が亡くなって数週間後、その兄夫婦に子供が産まれた。よく似た名前をつけられたその子は、病気もせず、健康に育った。 生まれ変わりに違いないという親族もいたが、四十九日も来ていないのにそんなに早くは生まれ変われないだろうと彼女は言っていた。それを口にしては、兄夫妻やその子に気詰まりだと思ったのかもしれない。 その後、彼女の兄弟にはたくさん子供が産まれたが、彼女の赤ん坊とうりふたつの顔をしていたのは、その子供だけだった。 私は、不可知論者だ。神仏も転生も信じてはいない。けれど、彼女がそれに慰めを得ていたのなら、転生という観念がこの地にあったことをありがたいと思うのだ。
もうじきお盆がやってくる。 まだ誰も起き出さぬ夜明けの道を、亡くなった人を思う人が歩む。灯明をともし、水や団子を手向ける。霊が迷わぬように、渇きに苦しまぬように。 阿弥陀如来、観音菩薩、不動明王、六地蔵....迷う霊を導き救ってくれるという地蔵菩薩。草深い道を、線香を手に祈っていく。 小さな赤ん坊のために祈り、蛇がそのしるしを見せてくれるのを願っていた人は、もういない。
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