浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2002年11月22日(金) フリーズ!/本名のタブー/アズエフ

昨夜は、フリーズの嵐で疲れちまいました。(-_-;)
まず、もくじの月別リストの「ALL_LIST」を見てみたら、フリーズしてしまった。
データが大量になってでんじゃらすなようなので、どうか1月づつ見て下さい。(^^;)
そして、Outlook。
IEとともに昇天したと思っていたウチのOutlookの送受信は、その後できるようになってました。しか〜し、たまったメールをキーワード検索してフォルダ分けしてたら、気が遠くなるほど待たされてしまったですよ。
ときどきジリジリとかろうじてHDの動く音。Macの時刻表示まで15分以上も止まってやんの。これにはあせりましたぜ。
ウチのヘッポコMacで百通以上いっぺんに処理しようとした私が悪いのか、新しく新型Winを買えと誘惑するびるげいつの陰謀か。おのれ、びるげいつ。
それにしてもメルマガはたまりやすい。あっ、英会話メルマガ、全然活用してないじゃん。(汗)
ウチのプリンターは熟考しないと動けないおっとりした子やから、たまったメールを全部印刷するのに1週間くらいかかりそうやなあ。
というわけでさっくり削除して、明日からあらためて頑張ろうと朝日に誓うのであった。って、雨降ってるけど。(をい、今までのを活用しないでいいのかっ?)

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私らの国の名字のないご一族のおひとり、高円宮さんが亡くなりはったそうですな。まだ若いのになあ。
あのお人達は国の象徴である一族だけど、国内じゃたいてい「宮号」+「殿下」だけで報道されるから、海外の報道の方でお名前をはじめて知ったりする。
今のエンペラーの名前をはっきり覚えたのは、倒れはった先代の代行で国会開催の時に署名してはる映像やった。それまでご先代や明治維新でかつがれた人の名前は覚えてたけど、次のエンペラーになる予定の人の名前が記憶になかったっちゅーことに、自分でも驚いたさ。(この時に先代がRh−ABというめずらしい血液型なのも知ったけどさ)
なんだか気になって周囲の人に聞いてみたけれど、けっこう年配の人でも知らない人が多かった。キングやプリンスの名前を知らないでいる国民、そんな話を聞いたら奇妙な国だと思うよね。
本名を呼ぶってのは古代社会のタブーのひとつだ。昔の中国もそうやけど、日本でも江戸時代くらいまで、本名と周囲の人が呼ぶ名に違いはあったんよね。幼名もあれば、改名/改姓もしばしばやってた。(明治政府が戸籍を作るときに、それを簡便にしちゃったそうだ)
まだ本名のタブーは、この国に強く残ってるのかとも思う。名前の呼び方、二人称の使い方、敬語や謙譲語の使い方で、私らは互いの間にある力関係を細かく表現してる。
敬称略で名前だけ呼び捨てにしたら、よほど親しい間柄でない限りは「失礼な!」と怒られるわな。上司に名前だけ呼び捨てられてムカッときた私も、すっかりこの世界の常識にひたりきって生きてるんだよなあ。(笑)

さて、他のお人はどんなお名前しとられたか?と、宮内庁のHPなぞ見に行ってみたりしたんだが。
前に欧州歴訪の途中で琢磨君へ表敬訪問しはったと報道されたプリンセスがどの宮家のお人か、やっとわかったぞい。三笠宮家のプリンセスだったよ。
向こうではあちこちの王家の人達がF1関係者を訪問したり招待するのは、よくあるようだ。歴訪中で、その影響があったのかもしれない。
今のエンペラーがプリンスだった時代にGPを訪問してはる写真は見たことあったけどさ。

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オールジャパンでルマン挑戦
車体は童夢、エンジンは無限、ドライバーは右京&亜久里&マッチ、だそうです。
なんかチーム監督達がひさびさにドライバーに戻るって印象ですか。ルマンは年に1度のお祭りやもんなあ。
右京さんは、今年パリダカにも行くんだったよね? 今年は、巴里もダカールも通らないパリダカになっちゃったらしいけど。(^^;)

アズエフ、ついに出ましたね。お面&ウチワ!(笑)
うちわもキレイな仕上がりで、熱い鈴鹿にいい風送ってくれたことでしょう。
マダムにはウチにもお面を送っていただきましたが、W自作グッズに身をかためたみなさんの迫力ったらすごいわ!
鈴鹿やオフ会に行くと、私もかぶることになるそうです。かぶるのがレギュで、アッという間に有無をいわさずかぶせられるそうですから。(笑)

モントーヤの結婚写真が表紙になるとは思いませんでしたよ。1月号だから、お目出たくていいか。結婚式を放映って、スーパースターなのねえ。
ダ・マッタの大アップも、うれしかったなあ。他カテゴリーの頃から見てる子がF1にあがってくるのは、やはり特別の感慨がありますねえ。ちっちゃくて細くてホワホワ髪で可愛らしい顔した子やなあ、と思ってたんですが。すっかり大人の男の顔になりましたなあ。
思い起こせば、98年に私がCARTにはまった頃には、インディ・ライツでタイトル争ってたのよね。2人の服部君達といっしょにCARTにステップアップしたんだった。
バカッ速いモンちゃんのような派手なデビューじゃなかったけど、じわじわ勝ち上がってタイトルとって、ここまで来たんだなあ。モンちゃんの場合は、最強のチップガナッシからのデビューという利点もあったんだけどさ。
アメリカ最速のチャンプカーのタイトルホルダー、その意地を見せておくれよ。


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