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2002年02月07日(木) 訃報。

2月6日、午後11時46分。
電話がありました。

私と仲良くしてくださっていた方が亡くなったという知らせでした。
凄く気遣いが上手な方で、相談事にもよく付き合って頂いていたので、友人と冗談交じりに『プロフェッサー』と呼んでいたこともあります。
サイトをリニュしたりすると必ず感想をくださるような人でした。
お仕事の関係か、いつも海外を飛び回っていて、日本にいるときに連絡が取れることなど3回に1回くらいで。
でもそれをご本人は『放浪』などと言ってるような、気さくな方だったんです。
キツイことを言うときには必ず面と向かって言うのをモットーとしている人で、メールではいつもさりげに励ましの言葉を掛けてくれました。

奥様から電話を頂いたんですけれど、向こうの方が絶対につらいはずなのに此方のことまでいっぱい気にかけてくださっているのが伝わってくるような電話でした。
私がショックをなるべく受けないようにゆっくりゆっくり話してくださるのが本当に申し訳なくて、聞いた瞬間泣きそうだったのをぐっと我慢して受話器を置きました。

こんな人だったんだよね、と笑って話せるにはどのくらいの時間が必要なのでしょうか。
うちの祖母は祖父が亡くなったことについて、『涙が止まるまで3年かかった』とお友達に語っていました。
私はそれを聞いてしまったとき、何故かすごく罪悪感に苛まれて。
というのも、それまで祖母が悲しんでいるのを見たり感じたりした記憶がなかったんです。
祖父が家に帰ってきてから火葬が終わるまで、誰がどんな風に感情を表していたかっていう記憶がなかった。
それ以外の、例えば参列者の座り方の秩序だったり、式の進行だったり、火葬場の様子や構造なんかはよく覚えていたんですけど。
祖母が祖父の死を悲しんでいたという当たり前の事実に直面して、私は初めて死を悲しいと思えたんです。
人を失うとはこういうことか、と。

実は今、7日になってから殆ど間もないような時間なんです。
電話を頂いてからすぐに日記を開いて書いていました。
何か書いたほうが頭の中を整理できると思って。

目を開けたまま泣いているっていう、よくわかんない状態です。
なんていうかいろんな意味で師匠みたいな人だったので、悲しいというより残念ていう気持ちが強いです。
もっと話したかったし、真面目な私小説ももっと読んでほしかった。
心の内面にもっと触れたかった。
ご夫婦と私とアユキで一緒においしいお茶を飲んだりする時間をもっともちたかった。

修二さん、人間として大好きでした。そして尊敬していました。
ご冥福をお祈りします。
お葬式に行けなくてごめんなさい。
落ち着いたらたえさんと貴方のことをたくさん話したいと思います。
本当にありがとうございました。   基栄。




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斎藤基栄
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