un capodoglio d'avorio
2004年05月29日(土) |
日本総合悲劇協会「ドライブイン カリフォルニア」 |
大人計画の松尾スズキサンが劇団外の役者サンをさそって作品を作っていくプロジェクト「にっそーひ」の第4回公演。ちなみに第3回公演「業音」はどかも観劇してる。「ドライブイン カリフォルニア」は、実は「にっそーひ」の旗揚げ公演の作品で、これが再演となる、8年ぶりらしい。そしてどかはこの初演のVTRをNHK-BSの録画で観たことがあり、あらかたのプロットは知っていた。その、脚本の出来の良さも。
プロットは松尾作品の例にもれず、けっこう入り組んでいるから文にしにくいなあ。寂れたドライブインを経営する兄妹と、その異母兄という3人を中心にして、「痛み」や「不幸」をトッピングしつつ「笑い」の鉄串でメッタ刺しという、いつもの松尾サン(テレビでしか彼を知らないヒトはちょっとイメージしにくいのでは)。でも、第3回公演の「業音」と比べると、その「痛み」や「不幸」の度合い、また「笑い」のかき混ぜ方も少しずつ緩くなってる。言い方をかえると「ふつーの舞台」に近くなってるから、インターフェースはかなりとっつきやすいのではないかと思った。大人計画本公演を含めても、これは松尾サンの「毒」未経験者には絶好の入門ソフトではないかしら。
印象その1。入門ソフトと言っても、しっかり<大人計画エッセンス>はふまえているのがすばらしいところ。例えば、身体障害者への差別とか、身体障害者からの逆差別とか、不幸や怨嗟がズドンと垂直に突き刺さって沈むのではなく、水平にどんどんチェーンリアクションのように伝播していくのとか、月並みな良識やモラルへの徹底的かつ組織的な破壊とか。ひとつのチャンとしたストーリーが珍しく設定されているにもかかわらず、セリフの発語レベルのひとつ下の層でちゃんとそういう地下水脈が流しているところがすごいなーって。
印象その2。ちょっと「古いかな」と感じてしまったどか。それは「戯曲」に対してではなく、「演出」に対して。こう、ギャグでたたみかける感とか、立ち止まらないで駆け抜ける感とかが、90年代だねーという印象だったなー。いや、疾走感自体がすでに古いというわけじゃなくて、こう、んーと、エラ呼吸続けるためにも泳がなくっちゃっす、水槽に水流を作らなくっちゃっす、的な(たとえ話になってないな・・・)?でも、そのせいかな、どかはいままでかつて無いくらい、松尾サンにエールを送りたくなった。時代の最先端切って走ってた数年前よりも、いまのほうが。
印象その3。「古い」印象はやっぱりあるんだけど、それでもこの時代になって、つまり初演の8年前よりも確実に「滅び」への距離と時間が縮まった気がする2004年において、タペストリーのように織り込まれた松尾サンの「いらだち」はとっても有効に機能しているように、思った(けれどもどかのこの実感は、終演後すぐ裏切られる)。「バカになりたーい」と、上半身裸になってマジックでお互い<バカ>と書きつけていく田口トモロヲサンと片桐はいりサンのエロシーンや、そのあと「バカにすらなれない」と自らのふがいなさを嘆く仲村トオルのボケシーンは、沁みるなあと思う。いまだからこそ。
印象その4。そのエロだのボケだのグロだのを、いつものように極限まで推し進めないこの作品は、さいしょどかはちょっと物足りないと思ってたかも、前半とか。でもね、極限まで推し進めてしまったら、それはあとは<消費>されちゃうだけなんだよね。いままで大人計画という劇団は極限まで走りきることで、エロだのグロだの差別だの暴力だのをぎりぎりまで追いかけてどんどん評価されてきた。そして、宮藤官九郎サンや荒川良々サン、阿部サダヲサンなど、そうそうたるメディアの寵児を抱える人気劇団にのし上がった。けれども、それと同時に、すでに<消費>は進んでいることを松尾サンはいたいほど分かっていたに違いない。その狂気の「ポイ捨てレース」に挑み続けてきた松尾サンの凄みも、それが松尾サン個人に拠っている以上、有限で如かなく、このプチナショナリズムうずまく日本の<消費欲>はほぼ無限に等しく(イラクの悲劇をも消費するほどに?)、勝ち目がないことを悟ったのだろう。だからこそ、今回の再演だったのだ。少しでもその「ポイ捨てレース」の周回スピードを遅らせるための、戦略としての「緩さ」だったのだろう。
松尾作品史上類を見ない「感動的」な(あくまで「」付きだけどね)ラストシーンに思わず涙するどか。しかしカーテンコールが終わった後、どかの周りに座っていた女の子チャンの会話が聞こえてきて、いっきに正気にもどされる。「良々クンかわいいー♪」「ふつうにしゃべる荒川サンもええやんなー♪」などなど、満面の笑みな女の子チャンに囲まれて、けっこう涙が止まらないどかは明らかに浮いていて恥ずかしかった。というか、松尾サンの「ヒトとヒトは分かりあえないよね、ケッ」というメッセージは、舞台上で展開されるだけではなく、劇場全体を巻き込むものだったのだ。
舞台上の「毒」を押さえることで、さらなる大きな「毒」が劇場を包むという結果を、松尾サンはどこまで計算していたのだろう。でも、たしかに、どかは少し怖くなった。自分だけ泣いていて、ひとり宇宙人としてここにまぎれているのではないかって思った。大人計画の役者が、本当にいま人気爆発してるのは知っていたけれど。。。かつて一世を風靡した第三舞台も、役者の人気が爆発して、鴻上さんの筆のスピードがその役者の「消費」され具合に追いつけなくなって、ついに活動休止に追い込まれた。松尾サンはそれにあらがってる。再演という形までとってあらがってる。
がんばれ松尾サン。がんばれ。
印象その5(おまけ)。初演と比べて、田口トモロヲサンは少し厳しかった。さすがに初演はあの手塚とおるサンだったしなー、エログロをひとりで背負う役だからもすこし欲しかったなー。どかが不安だった仲村トオルと小池栄子は好演。やー、栄子さん、すごいなー、でへ(なにがだ・・・)。荒川良々サンは、ちょっとどかにとっては期待はずれ。小技の引き出しが尽きている気がする。小日向文世サンは、さすが。最初、声が通らなくて不安だったけど、むずかしいシスコンの役どころ、完璧にこなす。猫背サン、田村サン、村杉サンは危なげなく。片桐はいりサンは既に松尾職人(?)。そしてMVPはやっぱり、秋山菜津子サン。女の色気を自在に出し入れできるところや、エログロをしっかり引き受けられるだけの度量があるところ。いま、演劇界で彼女以上の女優は、そうはいないのではないかしらん。
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