独白「文字式」

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2002年08月03日(土) ゆるやかな白い液体、牛乳(牛乳党がやってくる編6)

お腹もいっぱいになったので、
とりあえず最寄駅に向かってブラブラと歩く。
通りすがり、たまたま夏祭りを行っていた神社に立ち寄ることにした。

暑くて、餃子で喉も乾いていたので、
屋台のかき氷を食べる人が多かったことはさておき、
(私も一口貰った。うまかった)
立ち寄った神社は、とくに有名な神社、というわけでもなく
どこの町にでもありそうな神社なのだが、

ちょうど夕暮れどきで、あたりが薄闇に包まれ、
屋台が出ているものの、けして人でにぎわっていないところが
妙に郷愁をそそられる。
たたずんでいるうちに、お神輿が神社に帰ってきて、
神殿の前で、笛をふいたり拍子をとっている。
ちょっと非現実の世界に入りこんだ感覚を
各牛乳党員は楽しんでおられるようであり、
その勢いの中、私もいつもの神社を楽しんだ。

もし、私が一人で散歩していたとしたら、
このような状況を楽しむようなことはなかったであろう。
まず、いつもの町のどこにでもある神社、という意識で
神社に立ち寄ることはなかったであろうし、
立ち寄ったとしても、
日常の中の風景という思いこみで、
心が楽しむモードに入らないであろう。

だから、何人かあつまって散歩するのは、というのは
たまには良いもんだなあ、と思う。
みんなそれぞれ考え方や見方が、ちょっとづつ違うのである。
Aさんがあまり興味ないことでも、
Bさんはものすごく面白がったり、
微妙に違うからこそ、
思いっきり感情がシンクロした時は妙に可笑しくなったり。

一人旅のように一人で過ごすこと、が、
自分の見方、興味の再確認、深化だとしたら
党大会のようにみんなで過ごすこと、は
いろいろな見方、面白さの集積なのだろう。

さらに、ここで付けくわえておきたいことは
面白さを集積するためには、
一緒に過ごしている人を、そのまま受け入れることが必要なのである。
ある人に対するなにかしらの情報を意識しすぎて、その人を見てしまうと
面白いことも面白く感じられなかったり、
たいして面白くないことを有難く感じてしまうことがあるであろう。

で、牛乳党の良さ、というのは
なんだかいろんな人が集まっているわりには、
ぼんやりとしていて、そのため、
なんだかそのまま感が漂うところにある、と私は思う。

正直、集まっている人の経歴や状況を聞いてみると、
聞く人が聞けば「なんだか凄え」と
いわざるを得ない人ばかりである。
でも、そんなことはお構いなしに、
みんな、飲んだり食ったり語ったり呆けたりしている。
そのため、何がなんだかわからんけども、家に帰ってみると、
「ああ、なんだか党大会は楽しかったなあ」ってなるのである。

そして、今回のN市の大会も、やはりなんだか楽しかった。
神社にいってからも、さらにどこかで飲んで
にぎやかにしゃべったり、某氏の作品を回覧したり。
(個人的には、某氏より革命談義を聞いたりしてたのだが)
全工程を振りかえってみても、
某氏が変な帽子をかぶってあらわれたり等、
それぞれがそれぞれの個性を発揮して…。

じつにゆるやかな連帯。さすが牛乳なのだ。

以上、牛乳党編は終了です。
またしばらくはHPの更新は詩を中心にして、
夏休みの思い出でもたまったら、報告のかわりに
日記を書きだそうかなあ。


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