ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




流浪うすきま
2001年10月21日(日)
11月10日に「冷静と情熱のあいだ」が封切りになるので、すごく楽しみ!ウディ・アレンの「おいしい生活」も見たいし、他にも色々あり過ぎてたーいへん!
そこで、「冷静と〜」の原作を「rosso」(江國香織版)、「blu」(辻仁成版)が一緒になった「愛蔵版」で読み返していて、すごく良い言葉を再発見。
帰る故郷のない外国育ちの日本人どうしである主人公達のひとり、順正の言葉で、「選択の余地があるのは良い事だ。すくなくとも流浪う(さすらう)すきまがあるという事は。」というようなものがあるのです。
心の依り処という意味で考えると、これは単なるポジティブシンキング的なものでなく、逆に「行き着く場所が見えなくても、そのすきまにいる間は決定を迫られない。あらゆる選択肢を留保できる」とも受け取れるなあ、と思ったのだ。
つまり人生において「すきま」の期間=モラトリアムな期間、の怠惰に見える時間や行動や思想こそが、先に実を結ぶ出来事を産む準備中なのだ、という気がする。
何をやってもダメな期間、とかつまらない恋愛をしてる期間があってこそ、そこで「これは何だ?」「なんて自分はダメ人間なのだ」と普段見つめないような、自分や他人の暗黒部分とコミットする事で、人間性に「凄み」や「深み」が生まれて来る。
やがて、その穴から這い上がった時には、同じような辛い経験をした人のニオイが分かるようになる。そういう経験をせず、自分を甘やかしている人のニオイも分かるので、避けて通る事で無駄に嫌な思いをしたり、傷ついたりしないで済む。
人間関係だけでなく、もっと大きな人生の岐路の選択をする際にも、きっとその研ぎ澄まされた嗅覚は役に立つ。
「すきま」で流浪う事、逡巡する事、そこで人は、「本当に無駄なもの」と決別する事ができるなら、シンプルでささやかな「自分の人生」を謳歌する事ができるのだろう。









設計*しゑ(繊細恋愛詩)
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