ハラグロ日誌
書人*ちる

   

  




虹2(遅。)
2002年08月02日(金)
ふらりーん、としばらく精神的に「落ちて」いました。いつもの事です。(笑)
「虹」について、書きたい事があったのですが、ちょっと忘れてしまい、今思う事でも書いてみます。
虹の主人公の女性は、私とはあまりにもタイプの違うヒトなので、こういう風に思ったのは不思議なんだけど、読んでいると19歳の頃の自分を思いだしたのでした。
自分の感情とか、態度とか、一生懸命コントロールしていても、どうしてもヒトを憎んでしまったり、許せなかったりする感情ってあります。
私もフェアに生きたい!と思いつつも、「会わなかった事」にして、絶交してしまった人間カンケイや、ひたすら断ち続けているヒトがいたり。
「ヒトを憎む」というマイナスの力。
「ヒトを愛する」というプラスの力。
「虹」は、その両方のバランスをずうっと秤にかけながら、最終は自分の「プラス」が勝つ、という話なのですが、そのプラスに自分の舵をグイッと入れるには、偶然出会った老婦人の力だとか、亡くなったお母さんの力だとか、いっぱいの他者の愛に後押しされているのです。
そういう事を、分かっていて、進んだ主人公の女の子のラストは、すごく清清しくさえあって、ヨカッタ、と思えたのでした。
自分のアタマとカラダだけで出した結論、っていうのは、本当に陳腐で、他人から見たら、すごく不快な気持ちになってしまう。そういうのは、すぐ分かる。悩んでいても、そういう悩みを相談されるとイライラしてしまったりする。
人生で正しかったと思える「奇跡の選択」っていう状況は、決してひとりでは作られない。誰かが、そうっと背中を押してくれていたり、愛情を注いで忠告してくれていたりする。
それがたとえ「不倫」であっても、世の中で「不浄」と見なされる事でも、怖くなんかない。事実、そうなのです。
実際、かつて自分が不倫していた時、誰も「愛」をもって「応援」してくれるヒトはいなかった。大のオトナが分別持ってやってる事だから、責任持てよ!とは言われたけど・・・。いっぱいの愛をもって接してくれたヒトに導かれて、自分なりに反吐を吐くような思いで出した答えの先には、ちゃんと「隊長」がいたし。(針の穴に毛糸を通すくらいの確率だったのだが・・・。)
自分では滅茶苦茶だったな、と思うし、二度と出来ない冒険だったけれど、そういう愛するヒト達の前で「恥ずかしくない自分でいたい!せめて!」という分別があって、ヨカッタ。本当に。そういうパワーをくれた、周りのヒトに対して、私もそうやって、接して行きたい。心から。
そういうパワーを「虹」から得たのでした。









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