度々旅
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授業で自分のつくったレジュメの誤字や、日本語の悪さに本当に情けなくなる。それも指導教授の時間。英語を日本語にする時、どうしてあんなにわけのわからない日本語をつくってしまうのだろう。自分の表現力の無さを恥じ入るばかり。
去年も今頃の時期に、言葉を発することが非常に面倒というか、嫌になった。それと同時にテレビから流れてくる日本語も、ただの音としか聞こえず、人との会話も疲れた。脳が言葉を拒否しだすのだ。今もそんな状態。こうして日記を書きながら、自分の言葉を取り戻そうとしている。
授業後、急に喉の左側に異物感を感じる。2週間くらい前から出てきた症状。いろいろ調べてみたものの、ストレスによってそういうことがあるということしかわからない。ストレスなんて、そんなたいそうなものを私が感じるはずがないと思い、まぁそのうちなんとかなるでしょうとほおっておいた。ここ数日その症状は消えていたので、治ったなぁと思っていたら、また今日再び。それも、ぼろぼろになった授業後・・・。もしかして本当にストレスってやつ?と、今度は自分の弱さに悲しくなる。
でも、今は立ち止まることは出来ない。もう歩き出してしまったのだし、歩き出したばかりだ。
学校の帰り道、疲れきった私は風によって癒される。ふと道の脇を見ると温室の中でバラが咲いている。これが温室ということさえ今まで気づいていなかった。プラスチックの壁は薄汚れ、中に何があるのかもわからない状態だった。今日は窓が開いていて、そこからピンクのバラが見える。歩きながら道のまわりを見回してみると、学校までの道程は、この季節たくさんの野花が咲いていることに気づく。アスファルトの隙間からは、たくさんの雑草が伸び、花を咲かせている。 田んぼの中には、小さなビニールの小屋の中に今年植えられる稲の苗が、青々と元気に育っていた。おじいさんは、それを植える準備のために田んぼの土をかきまぜ、その周りにスズメたちがチュンチュン鳴きながらはねている。
ゆっくりと空を見上げる。風が気持ちよい。もう数百回この道を歩いたはずなのに、私は何を見てここを歩いていたんだろう。
私はたくさんのことを見て、考えて生きていると思ってきたが、何ひとつちゃんと気づかずに生きてきてしまったのではないかという不安にかられる。 それが、今日のどうしよもないレジュメにあらわれた。
言葉にするとどうしても、こぼれてしまう。それを理由に、私はあいまいな言葉を操り、絵などの他の手段で自分の中を表そうとしてきたし、記録しようとしてきた。でも、言葉にしなければ残らないこともある。言葉にすることによって、脳に残る、そういうことってあると思う。そういう作業を私は少しおろそかにしてきてしまったような気がする。もう少し、言葉に頼ることが必要だ。言葉という伝える手段があるのだから。そして、記録する手段があるのだから。
無人販売で買ったすっぱいイチゴをかみ締めながら、自分の発する言葉、人の発する言葉を、こういうふうに一つ一つかみ締めなければと思う。
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