度々旅
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2005年04月23日(土)

 学部の頃の友達と会食。この間までは、現状への文句だったけれど、今日はもっぱらこれからのことが話題。
 社会の風に当たりながら、不安不安の嵐。30過ぎてから本当の勝負と思ったり、いやもう遅いと焦ったり。それぞれが、その間で揺れながら暮らしている。そういうお年頃。どこかに一貫性を求めつつ、それゆえに恐怖を感じ。憧れだけで突き進むこともできず。流れに身を任せているように見える私達は、ただ必死にもがいているだけで、それが結局どこにも辿りつかないのではないかという恐怖の日々。けれどもしかしたら、もがいてさえいないのではないかという不安。不安と恐怖が入れ子になり、不安定を引き起こし、安定を求め、再び不安に落ちる。結局、私達が対象とするものは何だろう。
 私達がやった学問はあまりにも大きい。私達は共に学生時代をすごしたが、一緒に研究をしたわけでも、議論したわけでもない。個々が何かを抱え、向かい合った学問。そして、それから離れたと思っていても、それを選択する契機となった感覚は消えはしない。そして、それゆえに結局生き方そのものにベットリと学問が染み付いていることに気付く。自分でいられないことへの不満は、自分を壊す。それが再び自分への嫌悪を引き起こす。そして、最後自分を愛しむのは自分のみだと気付く。
 複雑な心境を抱えつつ、それを解釈してしまい、解決を図ろうとする私達。理性と感性がいつも絡み合い、対立しあう。そして、どちらか一つにはなりきれずに、その間を私達はさまよう。言語にすることが困難な思いを、言語を借りて語り合う。
 さまよわない1人の女性のお腹には子供。魚がぴちゃぴちゃ跳ねているみたいだ。あ、手だ。足だとわかる。
 私達にはわからないことが多すぎる。自分の中にあるものさえもわからない。けれどお腹の中に生命を宿し、自分の中に何があるのかわかっている彼女は神々しかった。 


こげんき |MAILBBS

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