☆帰ってきた☆それなりな日記。

2003年11月07日(金) ホント好き勝手やってるよ

人づてに、たまに「君に似てる人を知ってる」って言われたりすることあるよね。でも私はその人とはあまり会いたくない。自分に似てる人間ほど、苛立つものはないと思います。その人間の何が一番汚いか、よくわかるからね。
それに加えて、自分がそれを抑えよう抑えようとして生きてきたのに、その相手が全く抑えずに育ってきていた場合は、素の自分が目の前でありありと動くことになる。これはかなり具合の悪いことです。なんでさらけ出すんだよーじゃなく、わたしも出来ればそうしたかったのに、という羨望ですか。
だけどそれはさらけ出しているその人のせいでもなんでもなく、抑えつづけてきた自分に原因があるわけだから、誰も恨めない。むしろ恨むことじゃない。それをベースに自分が今の自分であるように作ってきたのに、今更解放してベースに戻すのはもったいないことです。肩の力を抜くことは大事だけれども、羨んで全てを崩す必要はないと。
でもそんな気苦労は出来るならしたくないのが本音だから、会いたくない。会いたくなかったんだよなぁ。


また。

デコボコとしたその人のカタチにぴったりと補うようにはめ込めるような違うデコボコがあって成り立つもので、同じカタチでは絶対に補い合うことはできないから、かみ合わない。
でもそのぴったりと合いすぎるのもまた考えもので、合いすぎるとそれを自然にスルーしてしまうんだよね。カチリとはめ込む作業の上で違和感を感じないから、合ってるのか合ってないのかも意識しない。刺激がない。これはイカンです。
全くかみ合わないのはいけないけれども、補いつつデコやボコがせり出しあっていたり、窪んでいたりするから、おやと思ってお互いがそこにいるっていうのを確認できたりするのかもしれない。


つまりは、同じでも、全く違っても、お互いに触れ合うことは難しいと。やや似てる、似てるかもしれない、ちょっと違う、その違いが面白いかもしれない、そういうちょっとしたデコボコのおかげで、友人っていうのは増えていくもんなんでしょう。

世の中は面白いように出来てます。やや似てる人間は溢れてるけど、全く違う、もしくは全く同じ人間に遭遇する確率はそうとうに低い。



びんびんのどくでんぱでした。





そういえば、と思って見渡せば、いつもとみんなの様子がちょっと違うのに気づく。村のみんなは優しいから、こういう時にはきっと「よかったね」なんて声をかけてくれるに違いないのに、今ここにいる人たちは……やや伏せがちな目をして、眉を下げている。口をもごもごさせている人もいる。まるで何かを気にして、遠慮をしているような雰囲気。
「……どうしたの、みんな?」
私がそう声をかけても、誰も答えない。おかしいよね、お兄ちゃん。そう思って見上げたら、お兄ちゃんはにっこりと微笑んでくれた。そして私を正面から抱きすくめてくれる!
「お兄ちゃ…!」
「大きくなったわね、ミリン!」


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凪原みどり [HP]