| 2008年10月27日(月) |
会えないScene 早送りして |
501日目。ぬこぬこぬっこぬこ
しみじみ思うんですが日記が長すぎる。つか今日とか日記じゃない! あまりにメモすぎる上、あちこちぼかして書いたのでいつもどおりわけわからんと思うので下にぃ下にぃ…
日記っぽいこと!普通っぽい話ですか!
部屋が汚い。 これは危険なレヴェルだ。
今度、役者さんが書くような改行たっぷりの日記を書く練習をしてみます^^v
私信** >やまたん 嘘みたいだろ…これ、みんな15〜18歳なんだぜ……(*‘ω‘ *) 実はライオンキングまでやってたらしい。どんだけだよ!
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戯曲を書き始めた頃にかるーい気持ちで目標としていたことが、実はプロの人たちでさえめっちゃくちゃ難しくて名作と呼ばれるものを書いた過去の御大でさえ同業者からめたくそに批判されてしまうほど難しい目標だったんだーということをようやく知りました。つまりは小説と戯曲書き分けるにはどうしたらいいんですか?って疑問なんですけども。一度だけアニメ脚本家の人に直接聞いたことがあるんですが「難しい、ほんと難しい」と苦笑されるだけで答えはもらえなかった。
でも実はこれって人生永遠のテーマになるほど難しい問題ではないんですよね。つまりそれだけで完結する性質をもつ「小説」を書いてた人が演出家が存在して俳優の体を介するっていう全く別世界の書き物である「戯曲」を書いたときに陥りやすいミスさえ把握してればいくつか重要な問題は意識して気をつけることはできるんですよ。今日批評家の先生ととある戯曲と読みつつ反面教師がそこにいたからか「あっそうか」的にはじめてすんなり納得できたような気がしまして、それがびっくりするほどすんなり体に入ってきたので、びっくりしてメモを書きました(笑)
これがどうして学部四年間のうちにすんなりわからないのかOTLと脱力とともに疑問にも思うんですが、もしかして今まで本当に戯曲書いてる人に教えてもらってたから、そんな疑問抱いたこともない人に教えてもらってたから、わかりやすく気づけなかった側面はあるよなあと。戯曲なんか一度も書いたこともないけれど、批評する面でものを見ている批評の先生に指摘されるから気づけたのかも。
つまり先生も言ってたんですが創作者の批評と批評家の批評とは別もので、お互いはお互いのようには書けないんだという…たとえば創作者の批評はどうしても「もしも自分がこれを書くならば」という方向に思考が走ってしまうから。批評内容の良し悪し以前に、こういう違いが存在するってことは頭においておいても人生損しないんじゃないかなと思いました。勉強になるね!
ちょっと話は戻りますがでは物書きにとって人生永遠のテーマになりうる問題ってなんですか?っていったら、もう即答で「面白いとは何か」って問題じゃないでしょうか。面白いのとこは良いとかGoodにも置き換えられますが、これはかの近松門左衛門センセーでさえきっと血眼で毎日探してたと思います。ワンパターンっていうのは誰かが導き出した答えのひとつなんだと思います。勧善懲悪とか印籠とか王子さまとお姫さまはめでたく結婚しましたとか。でもいつもそればっかだと怪獣ショーのお子様からつまんなあいってヤジが飛ぶんですよね、これ困っちゃいますからね。おまけに時代とともに人も流行も世情も移り変わりますから、やっぱり物書きは永遠のテーマの答えを日夜せっせと探さなきゃいけないんですね。永遠にですよ。満足に手に入ることなんて生きてるうちに何回あるか。発狂ものですよ。そりゃ文豪だって死にたくなる日もありますよ。
結局何が本当かっていうと「面白いじゃないか!」って誰かが言ってくれる、その一言さえあれば死にたくなる日も生きていける。ほんとそんだけです。作る人の方に作りたいって気持ちがくすぶっている、作らなきゃ生きていけないってくらい神様の奴隷と化しているなら。
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