|
|
■■■
■■
■ 今の家に住むまでの事
7年前の冬、自宅で震災に遭った その時、下の子は生後2ヶ月を過ぎた所で、地震直前まで授乳してました あのものすごい揺れは死をすぐ隣に感じました 私だけが起きてたから恐怖を感じたのかもしれない 同じ家で体験しても、寝てた旦那とは、その後の色々な事で違うってわかりました そして、同じ市内でも我が家より揺れが小さかった地域で体験した義父達はもっとずれてました
激震後、わざわざ3時間以上もかけて紙おむつと粉ミルクと水を持って原付で届けてくれた人がいました 旦那の同僚で、その人もまだ小さい子供さんがいるから、大変さをよくわかってくれたんです
電気はすぐ来たけど、ガスと水道は全くダメで、もらい水をしないといけない それは義父の地域でも同じです 地震後1週間してはなれた町へ避難する事にしたんだけど それまでの間、義父と旦那の弟さんが何度か来てくれたけど様子を見に来るだけでした
避難した所で3ヶ月いたかな 向こうにいる間、実家の両親が心配して2度、半日かけて車で来てくれた そこでは普通に何でも買えるからいらないって言ってるのに お土産いっぱい持って 義父達は一度も来ませんでした でもね、避難先の町を通り過ぎて隣の県に持ってる家までは何度も行き来してたらしい
住んでた家は土台はしっかりしてたから全壊、半壊にはならなかったけど 中はどこから手をつけたらいいのかわからない位ひどくて、おまけに避難してる間に ねずみが住みついてしまってた 元々、その家には愛着などなかったし出来ればどこかへ行きたかったから 住む所を移ろうと言う話には乗り気でした 私は避難先の町が結構気に入ってたので、その近くで探そうと旦那と話し合ったけど 結局、義父の言う通りになってしまった 義父の持ってる駐車場の土地に家を建てるって事 それも義父の家から車で20分もあれば着く所
条件のいい土地でね、私が反対する理由って言うか 義父達を納得させる理由が見つけられず、渋々、あきらめて そこに引っ越す事を承知しました
今度は前ほどしょっちゅう来る事はないだろうって思ってたら 2台分のガレージの1台分は義父の2台目の車用でした そして家が建ってない土地を、まだ駐車場として貸してて しょっちゅう車が出入りしてました なので子供達は庭では遊べなかった・・・洗濯を干してるちっちゃな所でしか
旦那が単身赴任になってからは、あんまり電話もかかって来ません 息子がいないのがわかってるから、車を乗り換えに来てても うちには声もかけません・・・用事もないんだろうけど・・・ 息子がいない家には魅力を感じないんでしょう 心配もないんでしょう
結婚してみて、初めて私はとても優しい人たちに囲まれて育ったんだってわかりました 世の中には、話をしてもわかりあえない人がいる事も知りました そして、今、自分に素直に生きたいと思うけど 子供を持ってしまった私には、我慢して生きて行く事もしないといけないって思ってる どこまで・・・我慢続けられるかわからないけど・・・
2002年07月12日(金)
|
|
|