テネリファ島、ホテル近郊の海辺でのこと。
岩で造られた防波堤の上で、私は一人、沖を眺めていた。時間を贅沢に使って、ただひたすらぼんやりしていた。 主人の同僚で、私の同期でもある孝一さんが、砂浜で戯れている子供たちから離れて私がいる岩場まで上がってきた。二言三言、私と言葉を交わし、孝一さんはそのまま一人で防波堤の先へと歩いていった。
その防波堤のちょうど中ほどで、沖からの荒波が直接ぶち当たる。数回に一度は、白いしぶきが防波堤の内側にまで覆いかぶさるように流れ込んでいる。 孝一さんは、その少し手前ほどで立ち止まり、ずいぶん長い間、沖のほうを眺めていたようだった。きっと生まれ故郷の徳之島の沖を切々と思い出していたのだろう。
そのうち、かなり大きな波が防波堤に勢いよく打ち寄せ、それを機に孝一さんはこちらのほうにすたすたすたと戻ってきた。 「孝一さん、波が大きくなったから、心配したよぉ」 「なぁに、大丈夫だよ、あれっくらい」 「波に呑まれたら、どうすんのよぉ」 「ホントに大丈夫だって。それよりもむこうの岩場にこんなにでかいカニがいっぱいいましたよ」 と私の目の前で、全長40cmくらいのカニの姿を両手で作って、くりくりと無邪気に笑って見せた。 孝一さんは、私から少し離れて、私とはまた別の方向の沖を見てぼんやりしているようだった。主人もそこに上ってきて、沖に向かって立った。三人銘々の方向を向き、お互い言葉を交わすこともなく、ただじっと海を眺めていた。 その時、防波堤の中ほどにざっぱーんとひときわ大きな波が押し寄せ、高波は全体の三分の一ほどの岩場を勢いよく飛び越えた。 「先端で釣りをしていた人がいたけど、戻ってこられるかなぁ」 などと、のん気に孝一さんが言う。 私は驚いてその方向に目をやると、慌てて帰り支度をした一人の釣り人が、防波堤の先端から中ほどに向かって、岩づたいにひょこひょこ歩いているところだった。 一番波が勢いよく打ち寄せている難関を通らないとこちらまで戻ってこられない。 先ほどから何度も何度も波が打ち寄せて、大きな白いしぶきが宙を舞っている。大波を目前に、釣り人の躊躇した足取りが遠くからも痛々しいくらいによくわかる。 「おいおい、大丈夫かよぉ」 と主人。私も何度も釣り人の安否を遠くから気遣った。 「ホントに大丈夫ですよ。あのくらいの波だったら、全身濡れはしても、波に呑まれることはまずないでしょう。まぁ、滑ったら怪我するかもしれないけど」 私たちの切羽詰った表情をよそに、孝一さんは涼しい声でそんなことを言う。 海辺で生まれ育った人が、波っ面を見てそう言うのだから、そうなのかもしれないけど・・・。 沖の遠くを眺めていた孝一さんは、 「あ、もう大丈夫だな・・・」 とぽつりと言って、釣り人を最後まで見守ることもなく、主人と二人で岩場から砂浜へと降りていった。 私は一人残って、その釣り人と波の様子を見守っていた。すると、本当に徐々に波の勢いが弱まってきて、タイミングよく、彼は素早くその難関をくぐり抜けることができた。その間、孝一さんが大丈夫と言ったとおり、彼を濡らすほどの白いしぶきすらあがることはなかった。 釣り人は早足で、私が立っているあたりまで戻ってきた。 「もう、心配しましたよー」 私は釣り人が近づいてくるのが待ちきれずに、笑顔交じりのドイツ語で、見ず知らずの相手に大声で叫んだ。 「次々波が押し寄せてきて、危なかったんだよぉ!」 といったような大げさな身振りで、ヨーロッパの言語らしい彼の母国語で何やら答え、釣り人は私の目の前を足早に通り過ぎていった。 やみくもに波を怖がる山育ちの私とは違い、幼いころから波を見て育った孝一さんは、きっとうねりや波の勢いを見分ける正確な目を持っているのだろう。ネクタイ姿の孝一さんしか知らない私としては、彼の意外な一面を知って、へぇーと密かに感動してしまった。
私が知っている故郷の海は、深くて荒々しい日本海。 しかも富山湾の蒼さは、湾の深みへそのまま呑み込まれてしまいそうな色あいでもある。幼いころからそんな海が怖かった。 だから私は、自分の故郷の海と言えば、ほんの浜辺の波打ち際か、波が届かないような堤防の上から見た海しかしらない。そして、漁船が係留している漁港と。 いつか家族で孝一さんの生まれ故郷の徳之島を訪ねてみたいなと思う。いつも彼が話してくれる徳之島の穏やかな珊瑚礁の海は、メジャーな観光スポットとはまた違うところ見たいだから。 でも、今はずいぶん変わってしまったのかな、私たちが長年海外で暮らしてきた間に・・・。
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