薔薇園コアラの秘密日記

2003年01月06日(月) 伯父の訃報

 新年にふさわしくないお話で恐縮ですが・・・。

 昨年11月、母方の伯父(享年77歳)が亡くなった。
 最終的な死因は、肺がんということらしいが、伯父は20年前に脳梗塞をわずらい、以来、ずっと入院と自宅療養を繰り返していたのだった。左半身が不随で、強度の言語障害を持っていた。
 優しくて穏やかで、大好きな伯父だった。今までの一時帰国の際には、どんなにスケジュールが詰まっていても、お見舞いがてら、必ず顔を見に行っていた。
  
 かれこれ14年前、私たちは結婚式を挙げた。
 その結婚披露宴に伯父を招待した。伯母は、自宅療養中の伯父が健康体ではないことを気にしていた様子だったけれど、海外赴任を控えた姪の祝いの席ということで、何とか車椅子で出席してくれることになった。
 伯父は実母の長兄である。普通披露宴では、花嫁の母方の親族の代表として、何か一言挨拶をしてもらうことになっている。
 
 披露宴当日、伯母に付き添われた伯父は、車椅子でマイクの前に進み出た。長い沈黙の後、
「・・・ゆ、ゆ、ゆ、ゆうこ、ち、ち、ちゃん、け、け、け・・・けっこん、お、お、お、お、め・・・・で、で、と・・・」
 伯父の私への思いがこもった渾身の一言であった。会場一同から大きな大きな拍手が沸いた。
 それまで、親戚、友人、みんなに祝福されて、自分の人生の最高の日がうれしくって仕方がなくて、始終、満面の笑を耐やさなかった私が、伯父のメッセージを聞くなり、嗚咽をこらえきれず、顔をぐじゃぐじゃにして泣きだしてしまった。
 
 伯父が披露宴の席で、私に一言でもきちんとしたお祝いの言葉を送れるようにと、伯母はこの日のために、言葉がままならない伯父に言葉を発する訓練をしてくれたのだった。そして、幼い赤ちゃんが言葉を教えるのと同じように、舌を動かして発声する訓練をするうちに、脳のどこかを刺激したのか、まったく不随だった伯父の左手の指が少しずつ動くようになったという。

 親族の暖かい血がかよいあう、熱い涙であった。

 伯母は20年来、病身の伯父の介護をしてきた。その苦労は、私の貧困なボキャブラリーではとても言い表すことができないだろう。
 今は、はるか彼方、日本の空の下の伯母のことが心配だ。伯父亡き後、穴がぽっかりあいた心で、この雪の季節、どう暮らしているのだろう。
 
 今から、自分なりの言葉で伯母に手紙を書いてみようと思う。


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祐子 [MAIL]

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