薔薇園コアラの秘密日記

2003年08月29日(金) 気心知れた愉快な仲間たち

 4週間あまりの日本滞在中、精力的に出歩いた。まさしく東奔西走。行く先々でできるだけ多くの知人、友人に会ってきた。
 行く先の日程を告げておいたら、友人が昔の仲間を呼んでセッティングしておいてくれていた。

 大きな集まりは、ワルシャワ同窓会。つくばのホテルにて一泊。
 理人の二年生のときの同級生の女の子たち2家族と、今年の春帰国された姉妹ファミリーとで計4家族13名。日帰りの飛び入り参加で、当時中学生だったお姉さんとお母さん。
 久しぶりに会ったけど、みんな元気そうで、誰もどこも変わっていない。子供たちもワルシャワ日本人学校の合宿みたいで本当に楽しそうだった。
 
 そこでは、浴衣を着てお座敷にお膳を囲んで、食べて飲んで歌って、まさしくニッポンの旅館の正しい宴会風景。
 ヨーロッパで、日本人家族で連れ立って出かけても、やはりどこかがヨーロピアンスタイルで根本的なのりが違う。裸足と靴、つまり畳と椅子の生活の違いからくるものかもしれないけど。
 
 そこはノスタルジーさえ抱かせるほどの古いホテルだったけど、子供たちにしてみれば全員生粋の帰国子女たちなので、そのホテルを純粋に和風の旅館と捉え、大満足しているようであった。

 宴もたけなわ。
 酔うと無意識に小指を立ててしまうお父さんがいて、帰国されて2年になるけど、ワルシャワでいまだに語り草になっている。
 そのお父さんが、私たちの目の前でしなを作って
「あなたが〜かんだ〜、ン小指が〜イタイ〜〜、ッハン」
と歌ったからもうたまらない。私たち全員、もうおなかの皮がよじれるくらいに笑い転げてしまった。
 ワルシャワの昔の仲間全員に見てもらいたかったよー。

 翌週末は、単身で大阪へ。
 私は子供を両親に預けてのんきに出かけていった。
 大学の仲間8人と心斎橋の創作炭火焼きの店で再会。
 三年ぶり、もしくは卒業以来。
 みんなの笑顔は昔と全く変わらない。40代目前にして。
 
 そこで仲間が連れてきた幼稚園児の女の子に妙になつかれてしまった。私みたいなタイプが珍しかったらしい。 
 そのおちびさんが私の右隣にぴったしくっついて座った。
 押されるように左側に寄ると、壁際に座っていた寺○氏と太腿から膝まで窮屈なまでに触れ合ってしまった。お互い逃げようがない。
 仕方がないので、結局最後までラブラブ恋人同士のようにぴったし寄り添ったまま座っていた。
 まぁ、彼もかれこれ出会って20年の腐れ縁的な存在だし、下半身ぐらい接触していてもお互い減るもんでも増えるもんでもないからいいのだ。

 別れ際、おちびさんが私たちへ無邪気に質問する。
「ねぇねぇ、ゆーこちゃんと寺○のおじちゃんはどうして一緒に住んでいないん?」
「?!?!」
そんな質問ってありかい?! 返答に窮するではないか。
「一緒には住んでないけど、おじちゃんとおばちゃんは仲良しやから、苗字が似てるんよ。二人とも『寺』ってつくでしょ?」
とだけ答えておいた。
 あはは、それにしても、私たちそんなに仲良さそうに見えましたかね? 
 なんなら、太腿の内側に手でも這わせてみたらよかった。ぎゃはは。

 さらに翌週末は、地元で会社の同期入社の仲間たちとはりきって夜遊びに行った。
 みんな既婚者なんだけど、偶然その日はシングルが多かった。
 独身時代のように午前様ー。
 
 他にも単発でいろんな懐かしい人にあちらこちらへ会いに行って、この元気印の私の顔を見てもらった。

 今回、関東、関西、地元で集まった仲間たち、連絡を取り合った知人たちとは、ずっとこのまま付き合いが続いていくんだろうなと思った。
 ある時期、ある場所で、一生懸命生きていたお互いを知っているから、年齢性別を問わず、目に見えない連帯感や結束力があるのだと思う。
(一部に今回、時間がどうしても取れなくて不義理をはたいてしまったひともいるけど、ごめんなさい。またの機会に連絡しますからね。)
 
 でも今回は、私たちを心待ちにしてくれる親族がいて、とびっきりの笑顔で再会できる知人友人たちが日本全国にいて、私ってホントに幸せだなー、と改めて思った三年ぶりの日本一時帰国でした。

 極楽トンボ祐子の日本滞在記でした。お・し・ま・い。

 


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