鍵をかけない部屋
見てしまうのですね。。。

2003年12月12日(金) どうか、安らかに。

沢山迷惑をかけてしまった先生。

中学3年間担任で、一番辛かった時期にお世話になった先生が亡くなった。

原因は癌。発見の遅れ。若干、33歳。
おとといのお通夜の日に連絡がきて、その時私はスキー場でスキーしてて。
帰ってようやくちゃんと考えた。
「帰らなきゃ」と思って、友達に連絡をとって、翌日早朝に出て、お葬式に出た。

いっぱい、先生の写真が飾ってあった。
いっぱい色紙とか手紙が並んでた。
全部嘘みたいで、お焼香をすませた後に別クラスの先生に会った。
「あれ?あぁ…!しのぐかぁ。大きくなったなぁ…」

一気に込み上げたなにかが、私の涙腺を緩めた。止まらない記憶と一緒に。



当時25歳だった先生は社会科担当。
「金八先生に憧れて」先生になったと言ってた。
まさか受かると思ってなかった教員試験に1発合格して、
大学教授にも「まさかお前が教師になるなんて」と言われたそうだ。

「茶髪にしてはいけない理由は、俺もわからない。が、立場上言わなきゃいけないだ」
先生はバイクか車で事故って肋を折って学校にきたりしてた。
ちょっぴりジャニーズ系で、皆の友達みたく慕われていた。

私が登校拒否をしたとき、何度もきてくれて、私は何も言わず先生を困らせた。
私だけじゃなくうちのクラスは問題児だらけで。
地元にいた男子達はよく先生と今でも飲んだりしていると聞いてた。

私達の卒業と一緒に、先生は教師という職を一旦離れた。
若かったし、色々やりたいことがあったと思う。
確か遺跡を掘るとか言ってた。その後ピアスを開けていた(笑)
同窓会の時は、ハワイに行ってるとかで不参加だった(爆)

自由奔放で好きだった。私もいつか遊びに呼んでもらいたかった。
成人式で写真をとったのが最後の思い出。


何も返せなくて、本当にごめんなさい。
遅すぎるけど、いつか言えると思ってた「あの時はありがとうございました」と。
「いつか」なんて、浅はかなこの世でどうして思ってしまうんだろう。

先生は病気と戦って死んだ。
思い残したこと、どのくらいあったのでしょう。
私は、自分が情けなくて涙が止まらなかった。


東京に着いて、冷たい雨に濡れながら彼と会った。
はじめて彼の中で泣いた。


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