2003年02月18日(火) |
このみによきもののやどることはなく |
ただうつろに、まれにほこりのまいおどりよどみがよぎってはいつのまにやらきえている。 たしかなものはなにひとつとしてなく、いたずらにこりかたまりほつれほどけ、なにかがあったということすらさだかではない。 ながれていくそのうちにすりへってきえるのをおそれながらも、とどまっていつづけるちからなどもちえず、もしそれがあるとしてかたちをたとえようとするならばぼうっとなにもかもがあかるいなかうすくらくよどむまひるのかげろう。 かげをもたずひかりをうけるおもても、てらされたおもてにかくされるものももちえない。 きまぐれにたちあらわれてはきえる。あさつゆよりもはかなくそれのようにはきよくない。 わたしにはこころがない。 かたむけ、なにかによりそえるたましいがない。 にくはいかされることをのぞんでいるがもはやかんきをしることはないであろうし、なにものかをつつみあいすこと、なにかをてにうるということ、それをたもつということ、うしなうかなしみにふるえること、たすうのうちのひとつであることをりかいすること、なにひとつとしておなじものはなくただひとつのちがいもないことをしることもできない。 たったひとつ、かいまみることだけができることそれは、なにもかもすぎていくことをうつろっていくことをごくごくせまいこうしのすきまのようなちかくでもってのぞきみているだけ。 みることすらもまんぞくにはできない。
ほんとうにじぶんはあるのか。 ほんとうなんかわかるはずもないが。
なにかきえていくこわさはおぼえているというのにあったことをしんじられない。 なぜだ
うたがいはなにもかもをけずりとっていく。
こっけいだ なにがあるというのか。
なにもないのだろう。 ならなぜ
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