窓のそと(Diary by 久野那美)

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2003年01月25日(土) 「逃げる」ことについて。

ここしばらく、考えていること。「逃げること」について。

誰にでも、「逃げる」権利がある。
誰にでも、「生きる」権利があるのと同じように。

出発点は偶然に与えられた場所であって自分のために在る場所ではないから、そこはもしかしたら、自分にとって最も危険な場所だったりするかもしれない。アイデンティティを出発点(ルーツ)に求めるから、求めるものが見あたらないと立ちすくむ。求められない場所ではしゃがみこむ。
出発点を肯定することでしか自分自身を肯定できないのだとしたら、殺されるまでとどまらなければならないことだってあるだろう。
それって本末転倒だと思う。
だから、そういう時は逃げることにしよう。
生きなければ始まらないから。始まらないまま終わってしまうから。
逃げましょう。全力で、どこまでも、最後まで。

逃避行、という魅力的な言葉がある。
安全と幸せを求めて、与えられた場所を捨て、まだ見たことのない自分の場所を探しにいくこと。
だけど、どこまで逃げても、否、逃げれば逃げるほどに、振り返るといつも出発点はおなじところにあって、決して消え去ることはない。
世界はいつも「その場所」と「この場所」の間に在る。

逃げることは世界から遠ざかることではなく、
世界をどんどん拡げていくことなのかもしれない。
だったらよけいに逃げねば。そしてどうせなら、できるだけ魅力的に逃げねば。
華麗に。贅沢に。力強く。どこまでも。
ちょっとでも、広いところで暮らすために。

ずうっと、そういうことを思って物語を創っていたのに、
私は「逃げる」という言葉を使ったことがなかった。
劇作家の友人に指摘されて、なんでだろ、と思った。
そのひとは、「逃げる」という言葉をとても自覚的に使う人だった。

で。ちょっと気になって、最近考えている。


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