窓のそと(Diary by 久野那美)

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2003年06月14日(土) 中島陸郎さんのこと

突然でした。
夜中に訃報を聞いて、早朝にうちを出て、何がなんだかわからないうちに神戸の教会でお見送りしてから3年経ちました。

人が亡くなってからの歳月というのは「早いものでもう○年になります・・」という具合に言うのが常套句のはずなのですが、なぜか中島さんに関しては「嘘?まだ3年?」と思ってしまいます。少なくとも10年以上、いえ、もっと長い時間が経ってるような気持がしています。

中島陸郎さんというのは、ウイングフィールドという、大阪心斎橋にある小さな劇場のプロデューサーさんだった方です(その前は同じく大阪の、オレンジルームという小劇場にいらしゃったそうです)。去年10週年を迎えたそこの劇場の一周年記念公演で、私の戯曲をプロデュースしてくださってからのご縁なので、そもそもお会いしてからが10年なわけですから、亡くなられてからの時間の方が長いというのは絶対に矛盾するのですが、でもなぜだかそんな感じがするのです。

3年前の。梅雨に入る直前の、びっくりするくらいお天気のいい朝でした。その日にどんな行事があってもきっと「絶好の○○びより!」と言われるに違いない完璧な晴天でした。屋根の上を薄い雲がゆっくり流れていく神戸の山間の小さな教会で、ホスピスに併設された小さな教会で、わたしたちは賛美歌を歌い、棺を見送りました。ほんとうに静かでした。誰も、何も言いませんでした。もちろん、拍手もしませんでした。

関西で長い間演劇のプロデュースのお仕事をされていた方だったので、教会には前の日から泊まっておられた方々を含め、お芝居の関係のひとがたくさん、来られていました。
私がしっている限り、お芝居の世界では、「おしまいになる」ということはいちばん当たり前のできことでした。ひとつの物語につき、ひとつの舞台につき、ひとつの公演につき、それは必ずやってくるいちばん重要な瞬間で、みんなが拍手と挨拶を持って祝う大切なできごとでした。

お芝居に関わることの中で、あんなに完璧な静寂の中でおしまいに立ち会ったことは他にありませんでした。不思議な不思議な気持がしました。

考えてみれば「人間のおしまい」ほど、絶対にやってくることがわかりきっている当たり前のおしまいもないはずなのに、中島陸郎さんというクリエーターは、誰にも予測も想像もつかない形でそれを演出してしまわれました。
誰もが呆然と、何をどうやって実感してよいものやら、言葉もなく立ちつくす中での最期でした。スパイ小説さながら、もう、お見事!なおしまいでした。

だから、まだ亡くなってないような気がしてしまうのかな、だから3年も経った、とか思えないのかな、と考えるのはわりと合理的な理屈のような気がするのですが、かといって、まだ生きていらっしゃるはず、という風に感じるわけでもないのです。どっちかというと、はじめから「はじまることもおしまいになることもない」存在だと勝手に思っていたのかもしれません。いや、ご本人は別にそんな人間離れした妖怪みたいな方ではないのですが・・・、どうしてなんでしょう?

ろくな実績の無い私は先輩方のように厳しく批評していただく機会には恵まれませんでした。だから私にとって中島さんは先生というより保健室の先生みたいでした。ただ、お酒を飲んでお話をしました。娘のような年齢の私がどれだけ生意気なことを言い返しても、絶対にそのことに気を悪くされることはありませんでした。(中島さんをご存じの多くの方がおなじことをおっしゃいますが)。いろんなことを考え、思う存分言葉にする機会を与えていただきました。それは私にとって、とても大切な時間でした。
そのときのわたしにとってよりもむしろ今のわたしにとって大切な時間でした。そしておそらく、さらに10年先の私にとって、より大切な時間であるような気がします。そういう風に、なっていたいと思います。

亡くなった方の命日にはたしか巻きずしを食べるんだったっけ?
と何故か勘違いをしていたのですが、巻きずしを
作る前にそれはちがうらしいことが分かったので、作りませんでした。
夜は外食しました。
そのかわりに、ちょっと日記を書いてみました。
いろんな方がいろんな言葉で中島さんを語られます。
私がしってるのは私がしってる中島さんだけで、ほんとうに破片のような小さな時間だけです。な、もので。こんなところにこんなことしか書けませんが、なんかときどき思い出して書いてみよう、と今日は思いました。

今日は朝から雨でした。
そろそろ梅雨が始まるのでしょうか。


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