窓のそと(Diary by 久野那美)
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私のいちばん古いオリンピックの記憶は、「モスクワ五輪」です。
でも、これは、いくつかの点で不正確な表現です。 ひとつには、当時まだ私には「オリンピック」という概念がいまいちよくわかっていなかったので、厳密に言うとそれがオリンピックの記憶であると分類できるようになったのはそれから何年もたってからだということです。(リアルタイムでわくわくしたわけではない) そしてもうひとつは、この大会を私はテレビで実際に見ることができなかったということです。
ですから、開会式からほとんどテレビにかじりついてみていた「サンフランシスコ五輪」が、実際はオリンピック(テレビ)(観戦)デビューなのですが、それでも、「モスクワ五輪」が子供のころの私に残した印象はそれを上回るものです。将来年をとって、痴呆が進んで、いろいろな記憶がなくなっていったとしても、オリンピックに関しては、最後まで残っているのは「モスクワ五輪」の記憶だと思います。
見ることのできなかった大会のいったいなにを覚えているのかというと、 くまです。ちいさいくま。
ミーシャと名乗るちいさいくまがある日突然(と私には思えた)テレビに再三登場するようになりました。彼女はアニメの主人公になるでもなく、チョコレートや洗剤を宣伝するでもなく、そういうことをしているほかのちいさいくまたちとはなんだか「別格」な感じで、そこにいました。彼女が画面に登場すると、少し緊張して、どきどきしました。
ある日ふと気づくと、そのちいさいくまはいなくなっていました。 そして、そのことの理由を説明してくれるひとは誰もいませんでした。 実際のところ、ちいさいくまはバックにおおきな使命を抱えており、ほんとうの問題はその使命のほうなのであり、そちらが消えてしまったことはおそらく多くのメディアや人々の噂の中で説明がなされたのだと思います。私自身、両親が話しているのを聞いたりして知っていたのかもしれません。
でも、それは当時の私にはあまり縁のない、すごく遠い世界の話でした。毎日見ているちいさいくまの話ではありませんでした。
くまの素性を知らなかった私は、ある日忽然と姿を消したくまのことを誰も何も語らないことが不思議でした。そのうちだれかが説明してくれるのだろう、と思っているうちに、何年もの時間がたち、そのうちそのくまがほんとうにいたのかどうかさえ、よくわからなくなってしまいました。
誰に何を聞けば何がわかるのか、わかりませんでした。 ただ、私はそのときはじめて、 「世の中にはある日突然、ふつうにいなくなってしまうものがあるのだ」ということを知りました。「ちいさいくまは、そのくまを見ている人が考えたこともないような「くま以外の」事情である日突然ふつうにいなくなったりするのです。
なにかがある日ふと消えてしまうとき。 そのこと自体はたいして話題になることもないまま、普通になにかが消えてしまった時、私はいつもこのちいさなくまのことを思い出します。
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