窓のそと(Diary by 久野那美)
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
2011年09月16日(金) |
なんでそんなに台詞のことばかり考えるのか |
<その場で今、何がおきてるのか> ということを表すのに、言葉って非力だなあとつくづく思う。非力どころか、害になることさえある。言葉が邪魔して、<その場で今おきてること>が見えなくなる。<その場で今おきていないこと>がどんどん伝わってしまったりもする。
演劇というのは、まさに、<その場で今起こっていること>という媒体なのに、言葉である「台詞」はどうして、演劇の最重要アイテムのように扱われるんだろうか?
お芝居の稽古をしてると、台詞なんかほんとうは、ないほうがいいんじゃなiか?と思うことがよくあって、役者に対して、「なんでいつもそんなに台詞のことばっかり考えてるんだ。」とか「どうしていつもいつも台詞ばっかりしゃべるんだ」とか、どう考えても絶対に理不尽なことを思ったりした。
でも、役者はなにがなんでも台詞をしゃべるのだった。 それは、台本に台詞ばかり書いてあるからだった。 そしてそれを書いたのは私なのだった。
何をやってるんだか。
昔、そういうことでけっこう悩んだ。 一度、本番2週間ほど前に、台詞を全部禁止して立ち稽古をしてみたことがある。役者はすごく困っていた。怒ってたのかもしれない。
でも、あれからけっこう時間がたって、私なりに考えたことがある。 どうしても、言葉でないとできないことがひとつだけある。 <その場で今、起きていないことを表すこと>だ。 そして、それを<そのことを知らない人に伝えること>。
それは、言葉でなければできないことで、 そのためには、たくさんのたくさんの言葉が要る。 つまり、演劇というのは、<その場で今起こっていること>であると同時に<その場で今起こっていないこと>を表すことのできる装置なのだ。
恐るべし。台詞の威力。
この発見はおおきい。
演劇に台詞があるのも悪くないかもしれないなと思えてくる。 ならば、台本って思ったより役に立つものなのかも。 私は台本をつくる係なので、それはかなり嬉しいことだ。
もしかしたらみんなは最初から知ってたのかもしれないけど、私にはおおきい。「台詞」のすべきことはもっといろいろあるような気がしてくるし。
今回、登場人物がひとりしかいないお芝居を作っていて、 そのことを改めて強く思った。
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
|