窓のそと(Diary by 久野那美)

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2011年10月02日(日) 階のこと。道のこと。

今回の上演団体名は「道の階」といいます。

私はお芝居の題名をつけるのがものすごく苦手なのですが、毎回プロデュース形式で公演をするので、題名以外にもうひとつ名前を考えなくてはなりません。これまで、箱の階、とか、船の階、とか、山羊の階、とかいった集団でお芝居をやってきました。階というのは、流行りの言葉で言えば、「カンパニー」とかに似てるのかなと思います。要するに上演団体のことです。私のPCは、「かい」と入力すると最初に「階」と変換されます。階の前につくのは、そのお芝居の中でわりと重要なポジションにあるものの名前です。
別に、上演団体に階をつけなくてはいけないという決まりはありませんし、実際階のついている上演団体はあまり見かけません。そのときの気分でいろいろつけると覚えられなくなりそうですので、私はそういう決まりにしているのです。今回は道の階。舞台が道の上なのです。

CTT大阪の11月の試演会に参加します。
CTTというのは、上演にまつわる負担を極限まで軽減することで役者が数多く舞台経験を積むことができるように、という趣旨で作られたシステムで、それ故素舞台、地明りを基本としています。素舞台というのは、舞台の上にセットがなにもない状態でお芝居をすること、地明りというのは、舞台と役者が見えるように照らす最低限の照明設備のことです。
つまり、舞台の上に役者たちだけがいる、という状態での公演です。

そして今回、私たちのお芝居は人間の出演者がひとりだけの、俗に言うひとり芝居、ですので、舞台の上には最初から最後まで、出演者の片桐慎和子さんがいるだけということになります。
帰り道の途中でのお話ですので、あまり違和感はありません。

今日は「それは、満月のよるのことでした」の6回目の稽古の日でした。
最初から途中まで何回か返して稽古していて、わたしは初めて、このお芝居に実際に「道」という台詞が何度も出てくることに気づきました。気づいたときは、「おおっ。」と思いました。さすが、道の階。あらためて、この舞台が道の上であることを、確認しました。そして、思っていた以上に道の物語であったのだということを。

「ここが道の途中であることを意識しましょう。」

と、演出家として役者さんに言ってみました。

「それは、ここから先にも後にも続いてるということですか?」

と役者さんが聞きました。

「・・・そういうことかもしれないけど、・・・つまり、この物語は面じゃなくて線だっていうことです。」

と私は答えました。
全然つまりじゃないような気もしましたが、わりと的確なことを言ったような気もしました。役者さんはいつものように「ふうん。」という顔をしていました。

「線なのだ。」と思うと、俄然、楽しくなってきました。

今日はほかにも、「1回1回、会話のたびに言葉がふっとんで頭の中が真っ白になる」という稽古をしました。そのせいか、片桐さんはしゃべるたび台詞をとばしたり間違えたり入れ違ったりして混乱していました。
このままでは、稽古するほどに台詞が不正確になっていくということになりますので、むずかしいところです。

また、「反応の読めない相手とちゃんと会話する」練習をしました。稽古場には役者さんのほかには私しかいないので、私がパーカーを頭からかぶって相手役をしました。パーカーをかぶると台本が見えなくてメモもとれないことに、かぶってから気づきました。なんだか孤独な稽古でした。

いろんなことを試行錯誤しながらこれから2か月、試していこうと思います。稽古の状況には何の不満もありませんが、二人きりの稽古場はほんとうにさびしいです。
こんな稽古場に興味のある方がおられたら、ぜひ遊びに来てください。









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