窓のそと(Diary by 久野那美)
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2011年10月04日(火) |
続・セキレイさんのこと。そしてヒヨのこと。 |
すみません。 稽古場日記と関係ないのですが、これも途中なので。 「2011年5月11日-セキレイさんのこと」の続きです。
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セキレイさんが帰ってきた。
やってきたのではなく帰ってきたのだと思っていたので、そのよそよそしい態度に戸惑ってしまった。
セキレイさんは完全に最初からやりなおしたのだ。
少しずつ、少しずつ、また1か月かけてベランダに馴染んでいった。 長い脚で、びくびくしながらぎこちなく歩き、長いしっぽをせわしなく上下に動かし、ときどき何かにひゃっと驚いて飛び上がった。そして、そのまま一目散に空の向こうへ退場していくのだった。毎日、それを繰り返しながら、少しずつ、馴染んでいった。
不思議なことに、見ている私も、最初からやり直すことになった。すずめたちのようにかわいらしいしぐさもしないし、始終落ち着きがないし、動きにもストーリー性がないというか、感情が読みとれないというか、なんというか、とにかく意味がわからない。毎日見ていてもなんだか距離が縮まらない気がして、疲れる。パステル画の中に一か所だけ水墨画のパートがあり、しかもそれは落ち着きなく動くのだ。
すずめたちのパンくずを取るな!と腹が立ったりもした。 彼らが来るとベランダの雰囲気にまとまりがなくなる。 人間だけでなく鳥の目から見ても彼らの動きは読めないようで、すずめたちもしばしばびっくりしてペースを乱すのだ。 なんて空気の読めない鳥なんだと憤ったりもした。
「だけどいい奴じゃん」と思ったあれはいったい何だったんだ?と自分でも納得いかない。「・・・・と思ったけどやっぱり嫌なやつだったのだ。物語は最後まで見届けないと、途中でやめては本質を見失う。」と思ったりした。イチローだって云っている。シーズンの途中で打率云々いっても意味がないと。
やっぱりイライラするのだった。なんだか腹が立つのだった。要するにそういう鳥だったのだ。
けれども、そこはまだ終わりじゃなかった。 あたたかくなるまで見届けているうちに、またしても、セキレイさんを待つことは私の日課になってしまった。「今日もセキレイサンが来ている」かどうかが重要なことになってしまった。そしてセキレイサンは重要なことに毎日来た。そしてベランダやすずめたちにふつうに馴染んでいった。
きっとセキレイさんは何も変わらなかったのだと思う。来た時も、そのあとも、いなくなってからも。私のほうが変わったのだ。人間は環境にすぐ影響される。毎日見てるものはなんとなく大切になっていくのだ。そしてそれは人間のいいところだと思う。 私はまた、覚悟しなければいけなかった。環境が変わる日のことを。
今度はせつなくてさびしかった。たぶん、セキレイサンがいなくなる日が来ることを、私はもう知ってしまったから。知らないことは起こらない。知るのは起こってしまったあとだから。すでに知ってしまったことは起こるのだ。
けれども。セキレイさんの退場は、私が思っていたものとは全く違っていた。同じように繰り返すのは季節だけだった。いや、季節だって、きっと少しずつ違っていたのだろう。
ある日、セキレイさんよりひとまわり大きな渋いデザインの鳥が手摺に止まった。角度によって、りりしくも見え、バカっぽくも見える鳥だった。 大げさな模様と、それが判別できないほどの地味な色合いのせいだろうか。 冠のようにも見えるし、寝ぐせのようにも見える、頭のうえのふわふわのせいだろうか。 落ち着きのないセキレイさんとは対照的に、ものすごくふてぶてしい感じの鳥だった。はとより少し小さいその鳥は、わがもの顔に手摺に止まると、「キーキー」ととんでもない音を出して鳴いた。セキレイサンを無視していたすずめたちは、その鳥が来ると、なんだか居心地悪そうにうろうろして、場合によっては退場してしまった。
気持ちはわかる。私も退場したくなった。 それが、ヒヨドリとの出会いだった。
写真を撮ろうとカメラを向けるとカメラ目線でポーズをとる。 しかも、背景に鉢植えの入る撮影ポイントで振り返るのだ。 「さあ。私をお撮りなさい。」と言って(言ってないけど)。
すずめたちにパンを投げてやると、蹴散らすようにやってきて横取りする。 自分の4分の1ほどの小さい鳥をキッとつついて「キーキー」鳴くのだ。
迷惑なので、帰ってもらおうと音をたててベランダのサッシを開けても、平気でこっちを見ている。逃げていくのはすずめたちとセキレイさん。 ヒヨドリは逃げないばかりか手摺の上からふわりとベランダに降りたって丸い目でこっちを見ている。 「パンはもうありませんよ。今度は何をくれるのですか?」 という顔でこっちをじっと見ている。 ヒヨドリはものすごいポジティブシンキングの鳥だった。 私がすることはすべて、自分のためにしてくれるのだと思っているようだった。
すずめたちをいじめるしキーキーうるさいので、思いきって氷を投げてみた。 当たらないように外して投げたのだけど、なんと、わざわざ追いかけていって食べてしまった。「コントロールが悪いのです。仕方がないからとりにいきます。」と言って(言ってない)。 氷では攻撃にならない。 次の作戦として、水鉄砲を買ってきた。子供むけのものではあるけれど、飛距離のちょっと長めの、タンクに水をためておけるタイプのものだ。 かわいそうかなと思ったけど、情をかけてはあとでややこしいことになると思い、思いきって発砲してみた。今度は狙いを定めて。
無力だった。ヒヨはひょいっとよけて、丸い目で得意げにこっちを見ていた。スポーツかなにかと思っているようだった。
こうしてヒヨドリとの戦いの日々が始まった。これは、セキレイさんの物語には予定されていない章だった。ヒヨドリはヒヨドリさんではなく、「ヒヨ」になった。理由はわからない。なんとなく。 ヒヨとの戦いは、永遠に続くかのように思われた。私は毎日氷を投げ、毎日水鉄砲の水を補充した。
セキレイさんと違って、ヒヨは集団でやってきた。 ハトより少し小さい鳥がベランダの手すりに8羽も並ぶのは、どう見ても異様な光景だった。ホラー映画のようだった。怖がるか笑うしかなかった。 でも実際は怒った。
私は見てしまったのだ。鉢植えのネメシアの花をむしゃむしゃ食べているところを。長いくちばしでくくっとついばんで上をむいて喉の奥に長しこむ。丸い目を細めてむしゃむしゃむしゃと咀嚼する。
・・・・・・・花を・・・・!! ・・・・・・食べるなんて・・・。
そういえば、つぼみはできるのにちっとも花が咲かないと思っていた。 お前だったのか。 ヒヨが来てから、ベランダが地味になってしまった。 寒くなって外にえさがないのか、とにかく、片っぱしから花を食べているようだった。正確にいうと、花のつぼみを。1つずつむしゃむしゃむしゃと本当に幸せそうに食べた。ヒヨは偉そうにしてるか幸せそうにしてるかどちらかなのだった。
ベランダにはミニバラしか咲かなくなった。さすがにとげのあるバラだけは食べられなかったから。 いちごもやられた。むしゃむしゃたべているところを見つけて「あ。」と叫んだら振り向いた。振り向いて咀嚼していた。ぱんぱんと手をたたいたら、めんどくさそうに重い腰を上げた。すごく不愉快な気分になった。
このままでは、ベランダがヒヨに侵略されてしまう。 すずめたちに対しても申し訳がたたない。すずめたちは自分より2回りも大きくて空気が読めないどころが好きなように書き直していくヒヨたちに困惑して距離をはかっている様子だった。
一方、セキレイさんははっきりとヒヨを疎んじていた。彼らは静かに、自分のペースで、思う存分落ち着きなく歩き回りたかったのだ。 邪魔されるのは嫌なのだ。 セキレイサンはとてもドライだ。どうしても許せないものが現れたら何も言わずすぐにさくっとそこから退去するのだ。 (寒くなることも許せないのかもしれない)
こうして。 ヒヨの登場により、セキレイさんは去年よりずっとずっと早く、去年よりももっと何の余韻も残さずにいなくなってしまった。あっけない終わりだった。正確には終わったのかどうかさえ、誰にもわかっていない。でも、セキレイサンはもう来ないのではないだろうかと誰もが思った。
セキレイさんが退場してしまってからも、ヒヨ軍団はやってきた。彼らにはセキレイさんがいなくなったことや、そのために私たちがなんだか妙な具合に寂しい思いをしていることなど全く興味がないようだった。
ではいったい、彼らは何に興味があるのか???? 事態は新しい局面を迎えることになった。
ここからしばらくは、ヒヨとの闘いがベランダのメインテーマになる。 <もう少しつづく。>

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