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■ 「真実」
「真実」って、何だろう? 私達が問う「真実」っていうのは、所詮私達のツクリモノなんじゃないんだろうか。
例えば今私の目の前には国語辞典がある。私はそれを国語辞典だと「思っている」。そして目の前にあるその物体が国語辞典だというのは私の中では「ごく当たり前のこと」なのだ。そのカバーの色も、私は赤色だと「思って」疑わない。そして目の前のブックスタンドによりかかってるソレは、四角い面しか見えないと「思って」いる。 この中の一体どれが「真実」だというのだろう? 私たちの脳は一体何を見てどう捉えているのだろう? それが当たり前だと公言できる証拠も根拠も、全てヒトが定めた基準によってしか測れないではないか。 ヒトに対しての「真実」だと「思われている事」を、本当に「真実」と呼んでいいのだろうか。
「真実」というのは、本当に私達が考えられる範疇にいるのだろうか? 私達が「真実」のど真ん中にいたとしても、それを「真実」だと認識しなければ私達にとってそれは「真実」には成り得ないのではないのか? 私達の「思い込み」と「ある意味勝手ともいえる都合のいい解釈」の上に成り立っている物事を、果たして「真実」と呼べるのかどうか。
2002年06月14日(金)
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